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(転載歓迎)
Exterminate All the Brutes:Gaza 2009
「ガザ2009の闇の奥-あらゆる蛮行を根絶しなさい-」(*)
(Znet / ZSpace Page http://www.zcommunications.org/znet/viewArticle/20316)
2009/1/20 ノーム・チョムスキー
「あらゆる蛮行を根絶しなさい」 ( ** の青色はチョムスキー。
その他は訳者が勝手につけています。)
12月27日土曜日、つい最近の米国-イスラエルによる攻撃が無力なパレスチナ人に対して
開始されました。
この攻撃はイスラエルの報道によれば、その6ヶ月以上前から周到に計画されていました。
その計画には二つの要素があって、それは軍事面とプロパガンダの面です。2006年に
イスラエルがレバノンを侵略したときには、攻撃の事前計画がまずく、また攻撃後の報道
も悪かったため、今回はその教訓に基づき計画されました。ですからイスラエルの行った
こと、報道したことの大半は、事前に計画され意図されていたとほぼ言えるでしょう。
攻撃計画には確かに攻撃のタイミングが含まれています:正午少し前、人口過密なガザ市で
学童が学校から帰宅しつつあり、人が通りを行き交っている、その時を狙います。わずか
数分で225人以上が死に、700人が負傷しましたが、これは、どこにも逃げようがない
小さな檻に捕らわれた自衛手段のない市民の大量虐殺を予兆する幕開けでした。
ニューヨーク・タイムズの通信員イーサン・ブロナーは、ガザ攻撃を振り返る「ガザ戦争の
戦利品を調べる」という記事で、この攻撃の成果をこれまでで最重要な戦果のひとつである
と述べました。イスラエルが「狂気の沙汰」となって、あらゆる面で圧倒的なテロ攻撃を
行っているとパレスチナ人が受けとめることが自分達の有利になる、とイスラエルは
周到に計算していたのですが、これは1950年代に遡るドクトリンです。
ブロナーはこう書いています。「パレスチナ人は今回の攻撃の初日、土曜日の朝遅く、
イスラエルの戦闘機が数多くの目標を同時攻撃したときに、そのメッセージを受け取った。
その場で200人が即死し、ハマスとそして実際ガザの全人口にショックを与えた。」
「狂気の沙汰」戦術はうまくいったようです、(というのは)ブロナーが次のように結んで
いるからです。「ガザの大衆がこの戦争でひどい苦痛を受けたため、今後はハマスの思い通り
にはさせないようにしようとしそうな気配が一部ながら見られる」と。
ハマスは選挙で政権を勝ち取ったのですが。昔からの常套である恐怖国家のドクトリンに
また成功例が加わりました。ちなみに私は、タイム誌の回顧記事「チェチェン戦争の戦利品
を調べる」を思い出しません、その戦利品は実際多かったのですが。
この用意周到なガザ攻撃計画ではまた、攻撃終了のタイミングもおそらく米国新大統領の就任
直前に合わせていたのでしょう、オバマがこれら米国が支援した汚れた犯罪に対して批判的な
言葉を何か言わなければならなくなる恐れを最小にするために。
攻撃開始後2週間してサバス(土曜日の安息日)が始まったあとの、ガザが既に瓦礫と化し死者数
が1,000人になろうとしていたとき、ガザの人々の大半が生存のために依存する国連の難民救済
事業機関(UNRWA)は、サバスのため検問所が閉鎖されていると言って、イスラエル軍がガザへの
物資搬入を拒否していると発表しました。生死の瀬戸際のパレスチナ人は、聖なる日の習わし
を守るため、食糧や薬を断たねばならない、というわけです。その間にも数百の人々が米国製
のジェット爆撃機やヘリコプターによって殺戮されるかもしれないのに。
この二重の意味でサバスを厳格に守らせるやり方はほとんど注目を引きませんでした。その事情は
わかります。米国-イスラエルが何年も行ってきた行為の犯罪性の中で、このサバスに事かけた
残酷さと皮肉は、記事の脚注くらいにしかなりません。そういうことはおなじみになっている
のです。
これに似た例を挙げれば、1982年6月、米国支援のイスラエルによるレバノン侵攻がサブラと
シャティーラにあるパレスチナ人難民キャンプへの爆撃で始まり、それらの場所は後に、IDF
(イスラエル「防衛」軍 *「」は筆者)により指揮された恐ろしい殺戮の場として知られる
ようになりました。その爆撃で地元の病院(ガザ病院)が攻撃され、中東を専門とする米国の
学術研究者が目で数えたところでは、200人以上が殺されました。
その殺戮で開始となった侵略はおよそ15,000〜20,000人を殺し、南レバノンとベイルートの大半
を破壊しましたが、その後冷酷な米国が軍事的にも外交面でもこれを支援したのです。その支援
の中には、行われた犯罪的攻撃の停止を求める国連安保理決議に、米国が拒否権を行使したこと
も含まれます。この拒否権行使は、平和的政治解決になればイスラエルが不利なため、臆面も
なくそうならないようにするもので、それは言い訳がましい弁解をする人達の空想である、
イスラエルが激しいロケット攻撃を受けているという、都合のいいでっち上げとは、全く逆なの
です。
このようなことはすべて当たり前で、イスラエル政府高官によりまったくオープンに論じられ
ています。30年前、人事長官(Chief of
Staff)のMordechai Gurが述べたところでは、1984年
以来「我々は村や町に暮らす一集団と戦い続けている」ということです。イスラエルで最も
すぐれた軍事専門家、Zeev Schiffがこの言葉を言い替えたところでは、「イスラエル軍は常に、
故意に意識的に民間人集団を攻撃してきた...イスラエル軍は、彼が言ったことだが、民間人と
兵士の識別をしたことがなく、わざと民間人を攻撃対象にしてきた」というのです。
この理由は有力政治家、Avva Ebanの説明では「攻撃された(パレスチナ側の)大衆が、敵対行為を
停止するよう(自分達の戦闘組織に)プレッシャーを与えるだろうとの合理的な見込みがあった、
そして最終的にそのとおりとなった」というものです。
その効果は、Ebanが十分理解していたように、不法な領土拡大と苛酷な抑圧の実践計画を、
他から干渉を受けずに実行するのをイスラエルに許すものとなるはずでした。Ebanはこのとき、
労働党が軍にパレスチナ民間人を攻撃させるのをベギン首相が見直そうとしていたことに
コメントしていたのですが、その実践計画を次のように描写しながら言いました、「ベギン氏
も私もあえて名前を口にしない集団を彷彿とさせるパレスチナの民間人に、死と苦悶のあらゆる
限りの方法を振るうイスラエル」だと。Ebanはベギンが見直したさまざまなことに異議を唱え
ませんでしたが、ベギンがそれらの事実を公にしたことは批判しました。しかしまたEbanや彼の
称賛者たちは、彼の大規模国家テロ擁護論が、彼があえて名前を口にしないような体制を彷彿と
させるものだとは気にかけなかったのです。
国家テロへのEbanの正当化の理論は、世の権威筋からは説得性があるとみなされています。現在
米国-イスラエルのガザ攻撃が激化する中、タイム誌のコラムニスト、トマス・フリードマンの
解説では、現在の攻撃および2006年のレバノン侵略の両方におけるイスラエルの戦術は、
「ハマス戦士に多数の死者を出させ、ガザの人達に大きな苦悩を与えることでハマスを「教育」
しようとする」正常な方針に基づいている、ということです。実際的な立場では、それは理に
かなっています。レバノンでも「唯一、長期にわたり攻撃をとめさせることになるものは民間人、
つまり戦士の家族や雇用者に十分な苦悩を与え、ヒズボラをそれ以降制止させること」であり、
実際それは合理的でした。
では同じ理屈でいえば、ビン・ラディンが9/11にアメリカ人を「教育」しようとしたことは
まったくほめてもいい戦術でしたし、リディツェ(*ナチスが全村民を抹殺した、ボヘミア
中西部の村)やOradourへのナチスの攻撃、プーチンによるグロズヌイの破壊、その他名だたる
「教育」目的の攻撃がすべて、そうだったわけです。
イスラエルはわざわざこれらの指導原則に専心することを明確にしようと努めました。
ニューヨーク・タイムズ記者、スティーブン・アーランガーの報告では、イスラエルの人権団体
は「議会や、警察所や大統領官邸のような民間施設の部類に入るべき建物をイスラエルが攻撃
することに心を痛めている」というのですが、私達ならこれに、村や、家、人で過密状態の難民
キャンプ、給排水システム、病院、学校、大学、モスク、国連救済施設、救急車、そして実際に、
何の戦果にもならない犠牲者の苦痛を和らげるかもしれないあらゆるものを加えるでしょう。
イスラエル諜報機関高官が、イスラエル防衛軍(IDF)は「ハマスの両面、つまり軍事面と社会面
での抵抗勢力」を攻撃したと説明しましたが、後者は民間人を指す婉曲表現です。アーランガー
はさらに「彼(*上記の高官)は、ハマスがひとまとまりであり」、「そして戦争においては
政治的にも社会的にもハマスが支配するものは、そのロケット弾貯蔵場所と同じように正当な
攻撃目標である、と主張した」と書いています。
アーランガーと編集者は、民間人を攻撃する大規模テロをこのようにあけすけに主張して実践
することに関して、何ら論評していません、とはいえレポーターやコラムニストが戦争犯罪に
対し寛容な態度や明確な擁護すら示すのは、我々が目にするとおりです。論評はしないものの、
普通どおり正常にアーランガーは、ハマスのロケット攻撃は「民間人を戦闘員と区別するという
原則に明らかに違反するもので、テロリズムの典型的な定義にあてはまる」と強調するのは忘れ
ていません。
中東地域専門家であるファワズ・ガーゲスは、同地域に詳しい他の人達同様、「イスラエル
政府高官とアメリカのその同盟者が認めないのが、ハマスとは単なる武装民兵ではなく社会に
深く定着した、広範な大衆を土台に持つ社会運動であるということだ」と言います。それ故
イスラエル側がハマスの「社会的側面」を破壊する計画を実行するときは、パレスチナ社会を
破壊することを狙っているということになります。
ガーゲスのこの説明は親切すぎるでしょう。イスラエルとアメリカの政府高官が、あるいは
メディアや他の専門家たちが、これらの事実を認めることはまずないでしょう。むしろ、
彼らは暴力手段専横する者たちが昔からする考え方を、それとなく採り入れます。
それはこうです。:我々の鉄拳はどんな抵抗も押しつぶすことができ、たとえ我々の怒り
の攻撃が民間人に多大の死傷者を出しても、それはすべて結果として善となる。なぜなら
たぶん生き残ったものは適切に教育されることになるからだ。:
IDFの軍人は自分達が民間人の社会を潰していることをはっきり分かっています。イーサン・
ブラナーはあるイスラエル大佐の言葉を引用していますが、その大佐は彼と部下たちには
「ハマスの戦士の印象」はあまりないと語ります。「彼らは銃を持った村人たちだ」と要員用
武装車両に乗った銃撃兵は言いました。ハマスの戦士は、殺戮の組織である IDFが1985年の
占領下の南レバノンにおいて、レーガン政権の「テロとの戦い」の時代に最強のテロリスト
司令官のひとりであったシモン・ペレスの指揮下に「鉄拳」作戦を行ったときの、その犠牲者
に似ています。
その作戦の間、イスラエルの司令官と戦略専門家の説明では、犠牲者は「テロリストである村人
たち」で、彼らテロリストたちは地元の人間の大半の支援を受けて活動するために根絶するのが
難しい、ということでした。あるイスラエル司令官は「テロリストはここで多くの目をもって
いる、なぜなら彼らはここで暮らしているから」とこぼし、他方エルサレム・ポスト紙の軍事
記者は、イスラエル軍が「テロリスト傭兵」と戦闘状態にあるときに直面する諸問題について
書きました。
それは、彼らテロリストたちは「IDFに抵抗して戦っている間、敢えて殺される危険を冒しながら
先に進むほど、全員が自分達の大義に献身している狂信者たち」で、他方IDFは占領した南レバ
ノンにおいて「住民が払わねばならない代価」にも関わらず「秩序と安全を維持」しなければ
ならない、というものでした。この問題は南ベトナムにいたアメリカ兵、アフガニスタンにいた
ロシア兵、ヨーロッパの占領地にいたドイツ兵、そして自分達が、Gur-Eban-Friedmanドクトリン
を実行していることを知っている他の侵略者にとって、ずっとおなじみのものであったわけです。
ガーゲスは、米国-イスラエルによる国家テロは失敗すると考えています。彼はこう書いています。
「ハマスは50万人のパレスチナ人を虐殺しなければ一掃できない。たとえイスラエルがハマスの
トップ指導者たちを殺すことができたとしても、新しい世代で今よりさらに急進的なものが、
速やかにとって代わるだろう。ハマスは生活の実態のひとつだ。それは無くならないし、
どれほど死傷者がでても白旗を掲げることはない。」
多分そうでしょう、暴力の効力を過少評価する傾向はよくあることです。そして彼のような
考えが米国内にあるというのは特に奇妙なことです。我々が米国にいる理由は何でしょう?
ハマスは「イランの支援を受け、イスラエルの崩壊に献身するハマス」と一様に言われます。
「民主主義の手続きにより選出され、過去の国際的合意に応じて二国家共存の解決案を長い間
求めているハマス」というようなものを見いだそうとすれば、困ることになります。その
国際合意は30年以上にわたり、米国とイスラエルにより阻止されており、それはこの二ヶ国
がパレスチナ人の自治権をにべもなくあからさまに拒絶しているからです。これらのことは
すべて真実ですが、政権の政策路線には役立たないので、無くても済むものなのです。
これまで細かに述べたことは些細なことですが、我々のこの国とそのお得意様について教えて
くれるところがあります。また別の小さな事実を話しますと、米国-イスラエルによる最近の
ガザ攻撃が始まったとき、「ディグニティ」という小さな船がキプロスからガザに向かって
いました。医者や人権活動家たちが乗船したこの船はイスラエル海軍の船により公海上で航行
を阻まれ、沈められそうなほどに体当たりされて、それでも何とか、のろのろとレバノンに
辿り着きました。イスラエルはお決まりの嘘の声明を発表して、CNN通信員のカール・
ペンホールや、元米国連邦下院議員で緑の党からの大統領選候補であったシンシア・
マッキニーを含む、乗船者であったジャーナリストや乗客たちから反論されました。
これはひどい犯罪で、例えばソマリア沖で船を乗っ取るよりもずっと悪いものです。その
事件がほとんど注目されないままでした。そのような犯罪を暗黙に受け入れることは、ガザ
が占領地であるとの了解があること、そしてイスラエルがガザ包囲を維持する権利があること、
さらには命令に不服従であるかどで民間人を罰するという実践計画を果たすためには公海上
で犯罪を行う許可すら、国際的秩序の監視役諸国により認可されていることを表します。その
実践計画についてはあとでまた話しますが、これはほとんどの国で認められていても、明らか
に擁護できないものです。
この事件への注目の欠如も、またなるほどと思われます。数十年間、イスラエルはキプロスと
レバノンの間の公海上で、船を乗っ取って乗客を殺したり誘拐したり、時には乗客をイスラエル
刑務所に連行し、そのうちの一部は知られざる拷問監房に入れたりして、長年にわたり人質と
して拘束する行為を続けていました。これらの行為は日常業務になっているため、今回の
「ディグニティ」に対する新たな犯罪への対処も、あくび程度のものしかなりません。キプロス
とレバノンは互いに全く異なる反応をしましたが、こういう事例に対する国家権力の悪巧みに
おいては、両国ともシロではありません。
誰が気にかけるでしょう、例えば、レバノンのデイリー・スター紙の編集者たちがこう書くと
しても。
「ガザの150万人は、世界のうちで最も科学技術が進歩していながら道徳的に後退している軍事
マシーンのひとつによる殺戮の礼拝式を受けさせられつつある。パレスチナ人はアラブ世界に
とり、第二次大戦前のヨーロッパにとってのユダヤ人的な存在になってしまったとの指摘が
よくあるが、この解釈には幾分の真実がある。そうであるなら、ナチスがホロコーストを
行っていたときに、ヨーロッパと北米大陸が見て見ぬふりをしたのとちょうど同様に、今
イスラエルがパレスチナの子どもたちを殺すときに、アラブ諸国が何もしないという方策を
さがそうとしているのは、何と吐き気を催させるほどに妥当なことであろうか。」
おそらく、アラブ諸国の政権のうちでもっとも恥ずべきなのは、エジプトの残忍な独裁政権で
しょうが、それはイスラエルを別にして、米国からの軍事支援の最大受益者です。
レバノンの報道筋によれば、イスラエルは今でも「定期的にレバノン市民を、ブルーライン
(国際的に認められた国境)のレバノン側から誘拐しており、最近では2008年12月に行った」
そうです。そしてむろん「イスラエルの戦闘機は、国連決議1701号に違反して日常的にレバ
ノン空域を侵犯している」(レバノン人学者Amal Saad-Ghorayeb、デイリー・スター紙
1月13日)とのことです。それはもう長い間続いていることです。2006年のイスラエルに
よるレバノン侵略を非難して、有名なイスラエルの戦略専門家Zeev Maozはイスラエルの
新聞に次のように書きました。
「イスラエルは6年前に南レバノンから撤退して以来、実際に毎日空からの偵察行動を行って、
レバノン空域を侵犯している。空からのこれらの空域侵犯は、なるほどレバノン側に死傷者
を出さなかったが、国境侵犯であることに変わりない。これについても、イスラエルは相手側
よりも高い倫理基準を持っていない」、そして一般的には全く根拠がないものが「レバノン
のヒズボラに対する戦争は正義であり道徳にかなう戦争であるという、イスラエル国内隅々に
わたる国民的合意、いいとこ取りの短期的記憶、内向的世界観、ダブル・スタンダードに
基づく国民的合意である。この戦争は正義の戦争ではない。軍事力の使用は度を過ぎており
無差別で、その最終目的は強奪である。」
Maosもイスラエルの読者に思い出させるように、レバノン人に恐怖を与えるための、超音速
戦闘機の轟音を伴う空域侵犯は、レバノン内でのイスラエルの犯罪のうちで最も軽微なもの
です、1978年以来の5回になる侵略を除いて。すなわち「1988年7月28日、イスラエルの
特別部隊がSheikh Obeidを、さらに1994年5月21日には、イスラエル軍パイロットRon
Arad
を(彼が1986年にレバノンを空爆しているとき)捕まえた責任でMustafa Diraniを誘拐した。
イスラエルはこれらの人物と他に捉えられた20人のレバノン人を、審判なしで長い間監獄に
秘密裏に拘束した。彼らは「交換交渉用」の道具として拘束された。明らかに、捕虜交換の
目的のためのイスラエル人誘拐は、それを実際行うヒズボラがする場合には、道徳的に非難
されるべきものであり、また軍事的に罰すべきものでありながら、イスラエルが同じ事を行う
場合にはそうではなく」、それもずっと大きな規模で長年にわたるのです。
その偽善性もまた、いつものことです。かくしてトマス・フリードマンは、より劣るほうが
テロリストの暴力によりどのように「教育され」ることになるのか説明しつつ、南レバノンと
ベイルートの大半をまたしても破壊し、またも1000人の民間人を殺害した2006年のイスラエル
のレバノン侵略を、自衛のための正当な行為であり、「イスラエルがレバノンから一方的に
撤退したあと、イスラエル-レバノン間の米国が認めた国境に渡って、いわれのない戦争を
しかけたヒズボラの犯罪に反撃したものである」と書きます。
この理屈のごまかしは脇に置くとして、同じ理論によるならば、テロリスト達が、これまで
起こったどんなものよりもはるかに破壊的で殺人的な攻撃をイスラエル人にするとしても、
それはレバノン内と公海上でのイスラエルの犯罪的慣行への対応として、十分に正当化できる
ものでしょう。なぜならイスラエルのそのような犯罪的慣行は、ヒズボラが国境で二人の
イスラエル人を捉えた犯罪を遙かに超えるからです。
ニューヨーク・タイムズ紙の中東専門のベテラン記者はこれらのイスラエルの犯罪について
確かに知っています、少なくとも自社新聞を読んでいれば。例えばこの記事。1983年11月の
捕虜交換に関する記事の18番目の段落には、率直にこう書かれています。そのアラブ人捕虜
のうち37名はベイルート北の「トリポリまでキプロスから向かおうとしているところを、
イスラエル海軍により最近捕まっていた」と。
富裕で力のあるものたちに対抗する妥当な行動について、むろんすべてこのような判定になる
根底には、ひとつの根本的欠陥があり、それはつまり、これは我々、あれは敵、という考え方
です。この決定的原則は、深く西洋文化に埋め込まれており、最も正確な類推や最も欠点のない
推論をさえ蝕んでいくのに十分なほどです。
これを書いている現在、キプロスからガザに向かっている別のボートがあります。「緊急に
必要な医療品を密封した箱に入れて運んでおり、Larnaca国際空港とLarnaca港の税関を通過
した」と、まとめ役が報告しています。乗客にはEU議員と内科医がいます。イスラエルには
この人道的な目的を告げてあります。世論の十分なプレッシャーがあれば、彼らは平和の
使命を達成するでしょう。
この数週間米国とイスラエルがガザで行っている、この新しい犯罪は、どんな標準的カテ
ゴリーにも簡単にはあてはまりません、馴染み深いものというカテゴリーを唯一除いて。
ここまでいくつかその例を示しましたが、あとでまた別の例をいくつか挙げましょう。
文字通りこの犯罪は、米国政府による「テロリズム」の公式定義に入るものですが、そう
呼ぶとしてもそれらの犯罪のひどさを言い尽くせるものではありません。
それらの犯罪は「侵略」とは呼べません、なぜなら米国が暗黙のうちに承認して、占領地で
行われつつあるからです。占領地におけるイスラエル人入植の包括的な歴史『Lords of the
Land』の中で、著者のIdit
ZertalとAkiva Eldaが指摘するところでは、2005年8月に
イスラエルがガザから軍隊を撤退させたあとも、廃墟となった領土は「イスラエルの軍事的な
掌握から、あるいは毎日住民が支払わねばならない占領代--イスラエルは焦土と破壊され
尽くしたライフライン、現在も未来もない人々を残して去った--から一日たりとも」解放され
なかった。
「パレスチナ人の生活の場は偏見に満ちた占領者の狭量な手段により破壊されたが、その
占領者は実は、恐るべき軍事力によりその領土を支配し、住民を殺し嫌がらせを行い続ける
のだ」--その軍事力を野蛮の極みまで振るい、そしてそれは米国の確固とした支援と参加
のおかげなのです。
米国-イスラエルによるガザ攻撃は2006年1月にエスカレートしましたが、これはその前の
撤退から数ヶ月して、パレスチナ人が(イスラエルにとっては)本当に憎むべき犯罪を犯した
時です。すなわちパレスチナ人が自由選挙で「間違った方向に」投票したときです。他の人々
同様に、パレスチナ人が学んだことは、「自由への熱望」について雄弁であり続ける例の
支配者の命令に不服従を通せば無事に済むことはなく、必ず教養ある階層から嘲りを受ける、
ということでしたが、これはもう一つの大きな学習成果でした。
「侵略」と「テロリズム」という言葉が不適切なので、逃げることがまったくできずに檻に
閉じこめられている人々に対する残虐で卑劣な拷問を表現するには、新しい言葉が必要です。
この人々を土埃になるまで打ちのめしつつあるのは、米国の軍事技術が製造した最新版の兵器
であり、これは国際法にも米国の法律にすら違反して使われていますが、無法者国家を自認
する敵への攻撃用には、これもまた専門用語の使用の問題となります。
さらにまた別の、言葉の使用事例としては、12月31日、テロ攻撃されるガザの人達が、情け
容赦のない襲撃からの避難所を必死で求めている間、米国政府はギリシャからイスラエルまで、
3000トンもの大量の未確認「兵器」を輸送するため、ドイツ商船を借り上げたのです。その
輸送より「先に、商船を借り上げてもっと大量の兵器の輸送が米国からイスラエルまで、ガザ
空爆前の12月に行われた」とロイターが報じました。このほぼすべてはブッシュ政権により
イスラエルに提供される210億ドルを超える軍事援助とは別で、譲与です。
「イスラエルのガザ地区への介入は主として、米国の税金でまかなわれた米国支給の兵器が
激化させた」と、武器売買を監視するニュー・アメリカ・ファウンデーションが短い発表で
述べました。2度目の兵器輸送は、ギリシャのどんな港にも「イスラエル軍への支給のための」
使用を禁じるというギリシャ政府の決定により、阻止されました。
米国支援のイスラエルの犯罪に対するギリシャ政府の対応は、ほとんどのヨーロッパの
指導者の臆病な態度とはかなり異なります。この違いは、米国支援のファシスト独裁政権が
1974年に転覆されるまでずっと、米国がかなり現実的に、ギリシャを欧州ではなく中東の一部
と見なしていたかもしれないということを示します。おそらくギリシャは、欧州の一部である
にはあまりに文明が進んでいるのでしょう。
もし皆さんがイスラエルへの武器支給のタイミングが興味深いと考え、さらに調べるつもりで
あれば、国防総省に答えがあります。 しかし、先ほど述べた武器の輸送はガザ攻撃の拡大に
間に合うようには到着しない、(だから)軍事備品はどんなものであれ、米軍が最終的に使用
するためにイスラエルに事前配備されるものなのか、という疑問が湧くでしょう。それは確か
です。
イスラエルがパトロンの米国のために行うサービスのひとつが、世界の主要なエネルギー資源
産出地の周辺にある同国で、重要な米軍基地を提供するということです。それゆえイスラエル
は、米国の攻撃の前哨基地として働く、あるいは専門的言葉を使えば「湾岸を守り」「安定を
確保」する働きをすることができるのです。
イスラエルへの大量の武器の流れは、多くの副次的目的にかなうのです。中東政策専門家
Mouin Rabbaniは、イスラエルは自衛手段のない攻撃目標に、新たに開発された兵器シス
テムをテストすることができると考えます。
このことの価値はイスラエルと米国にとり「実際2倍以上である、なぜなら攻撃に使用する
ものと同じ武器の効力を少し落としたものが、その後アラブ国家に水増しした大金で売られ、
結果的に米国の兵器製造会社を儲けさせ、米国軍からのイスラエルへの譲与を埋め合わせる
からだ」と言います。
米国はイスラエルをのぞき、世界の主要武器輸出国の中では飛び抜けて一番です。ニュー・
アメリカ・ファウンデーションが最近出した報告の結論では、「米国の兵器と軍事訓練は、
世界で2007年に27あった大きな戦争のうち、20において役割を果たし」、米国の受け取った
儲けは230億ドルとなり、2008年には320億ドルに増えたとあります。2008年の国連会期中、
国連での数多い決議案に米国が反対したものの中に、武器売買の規制を求める議決があり
ました。2006年には米国だけがこの条約案に反対票を投じましたが、2008年11月に、もう
1ヶ国加わりました。ジンバブエです。
そのときの12月の国連会期中に、その他の注目すべき投票がありました。「パレスチナ人の
自治権」に関する決議が、173対5(反対は米国、イスラエル、太平洋保護領諸島)で採択
されたのです。この投票は、米国-イスラエルの拒否姿勢が国際的に孤立していることを
はっきりと再確認させるものです。同様に「移動の普遍的自由と(離散)家族合流の重要性」
に関する決議は米国、イスラエル、太平洋保護領諸島が反対しましたが採択となりました。
反対はおそらくはパレスチナ人への適用を嫌ってのことでしょう。
(この会期中の決議で)「発展への権利」に反対する際に米国はイスラエル票を失いましたが、
ウクライナ票を得ました。「食糧への権利」に反対したのは米国だけでしたが、この反対は
西洋諸国の経済を脅かす財政危機を小さく見せるほどに、世界中で食糧危機が増大している今、
特に目立つ事実です。
国連でのこの投票記録が一貫して報告されず、メディアや順応的知識人により記憶の穴へ
落とし込まれるかについては、十分な理由があります。選出された国連代表たちについて
このような記録が意味することを社会に示すのは、賢明ではないでしょう。今のガザ攻撃の
ケースでは、米国-イスラエルの拒否姿勢が、世界が長らく主張してきている平和的解決
を阻みつつ、自治という抽象的な権利さえパレスチナ人に拒むほどになってきているのを
社会に知らせることは、全く役に立たないでしょう。
ガザでヒーローのようにボランティア活動を行うひとり、ノルウェーのMads Gilbert医師は、
恐怖の光景を「ガザの民間人に対する全面戦争」と述べました。彼の見積もりでは死傷者の
半数は女性と子どもたちでした。男性の死傷者も、民間人の基準に照らせば、ほぼ全てが
民間人です。ギルバート医師は、数百の遺体のうち、兵士のそれはほとんど見なかったと
報告しています。IDFも同意しています。ハマスは「離れたところから攻撃することにして
いた、あるいはまったくしなかった」、他方でこの米国-イスラエルの攻撃による「利益を
調べていた」と、イーサン・ブロナーが報告しています。ですからハマスの勢力は無傷のまま
であり、被害を受けたのはほとんど民間人だったのです。しかしこれは、広く諸体制が持つ
ドクトリンからすれば、プラスの成果でした。
この見積もりは国連人道問題調整事務所のジョン・ホームズが確認し、彼はレポーター
たちに「妥当な推測」では、「残虐が続くなかで日々悪化しつつある」人道的な危機の中
で殺された民間人の大半は、女性と子どもだったと知らせました。しかしイスラエル外相
で現在選挙運動中のハト派の大物、ツィッピー・リヴニが世界に請け合った言葉が慰めに
なるかもしれません。彼女によればガザには「人道的危機」は何もない、と。イスラエル
の慈悲のおかげで。
人間とその運命を気遣う他の人々同様、ギルバートとホームズは停戦を求めました。しかし、
まだです。ちなみに「国連では即時停戦を求める公式声明を安保理が土曜夜に発表すること
を米国は妨害した」とニューヨーク・タイムズ紙が書きました。
その表だった理由は「ハマスが何らかの合意を遵守するだろうと示すものが何もないから」
でした。虐殺を楽しむことを正当化する弁明のうちで、この言葉は最も皮肉なものの1つに
なるに違いありません。そう言ったのはむろんブッシュとライスですが、まもなくオバマが
その二人にとって代わります、なぜなら彼は「ミサイルが私の二人の娘が眠るところに落ち
てくるならば、それを止めるためには私はあらゆることをするだろう」と哀れみを込めて
繰り返すからです。彼はガザで米軍により切り裂かれている数百の子どもではなく、イスラ
エルの子どもたちを指して言っているのです。
数日後、国際的なプレッシャーが高まるなか、米国は「永続する停戦」を求める安保理での
動議を支持し、採決では棄権して14対0で可決しました。イスラエルと米国タカ派は、米国
代表がいつものようには拒否権を行使しなかったことに怒りました。しかしながらその棄権
は暴力をエスカレートさせるのに青信号は出さずとも、黄色の合図をイスラエルに与えるに
十分でした、そして予想通りに実際、就任式の瞬間まで攻撃は激化したのです。
停戦が(理論上は)1月18日に発効し、パレスチニアン・センター・フォー・ヒューマン・
ライツは攻撃最終日の数字を発表しました。それによれば、パレスチナ人死者54名のうち、
43名は非武装の民間人でそのうち17名が子どもたちで、これはIDFが民間人の家や国連学校
を空爆し続けた間のことでした。
死者合計は彼らの見積もりで、1,184名となり、このうち844名が民間人で、そのうち281名が
子どもでした。IDFはガザ全地域で焼夷弾を使用し続け、引き続いて民間人の家と農地を破壊し、
民間人を家から退去させました。数時間後にロイターが発表した数では、死者は1,300名以上
でした。
アル・メザン・センターでも死者数と破壊について注意深く記録が取られていますが、そこの
スタッフが、絶え間のない激しい空爆のため以前は近寄れなかった場所を訪れました。彼らは
破壊された家々の瓦礫の下で腐敗しつつある、あるいは、イスラエルのブルドーザーにより
除去される、数十の市民の遺体を見つけました。
死傷者数が少なく見積もられているのは確かです。これらの暴虐行為に対し何の捜査も行われ
そうにありません。公の敵が犯す犯罪は厳密に捜査を受けますが、我々自身の犯罪は体系的に
無視されます。またしても一般慣行であり、支配者の側には理解できるものなのです。
国連安保理決議はガザへの武器の流入の停止を求めました。米国とイスラエル(ライスと
リヴニ)はすぐにこの成果を、イランの武器に関してだけは確実にする方法で合意に達しました。
米国の武器がイスラエルに密輸されるのを止める必要はないのです、なぜなら密輸ではない
からです。それどころか大量の武器輸入は、ガザでの殺戮が進んでいた時に発表された武器の
出荷の場合のように、報道されないときでも、まったく公然のことなのです。
その決議はまた、「パレスチナ政府とイスラエルの間で2005年に結ばれた、移動とアクセスに
関する合意を根拠に、検問所を再開し維持するのを確実にすること」を求めました。しかし
その合意は、ガザへの往来が引き続き行われ、さらにイスラエルはウェスト・バンクとガザ
地区の間で品物や人の往来も許す、ということを決めたものだったのです。ライス-リヴニ間
の合意は、国連安保理決議の持つこの側面については何も触れませんでした。
米国とイスラエルは実際には既に、2006年1月の自由選挙においてパレスチナ人が間違った
方向に投票したことへの罰の一部として、2005年のその合意を破棄していたのです。ライス
-リヴニ合意のあと、ライスは記者会見で、アラブ世界でのその自由選挙の結果を根本から
損なおうとし続けるワシントンの意向を強調して、「できることはたくさんあります」と言い
ました。「ガザをハマスの支配の暗黒から、”パレスチナの自治政府”(**)がもたらしうる
最良の統治体制の光のもとに連れ出すために」と。この意図は、その自治政府とやらが忠実
な顧客で、腐敗に満ち、苛酷な鎮圧を進んで実行し、しかしながら柔順であるかぎりにおいて
もたらしうる、ということでしょう。
アラブ世界への訪問から戻ったあとファワズ・ガーゲスはガザの現地で伝えられたことを
強く肯定しました。米国-イスラエルによるガザ攻撃の効果は、アラブの人々を激怒させ
侵略者とその協力者への苦い憎しみを生じさせるものとなりました。「こう言えば十分で
あろうが、いわゆる穏健派アラブ諸国(つまりワシントンから司令を受ける諸国)は守り
の姿勢であり、イランとシリアに導かれる抵抗派が、この攻撃から主に恩恵を受けている。
またしてもイスラエルとブッシュ政権は、イランの指導部においしい勝利を手渡して
しまった」と。
さらに、「ハマスは以前よりもさらに力のある政治勢力として台頭してくるであろうし、
マフムード・アッバス大統領率いるパレスチナ自治政府の支配装置であるファタハより
優勢になりそうである」と述べました。このアッバス大統領のパレスチナ自治政府は、
ライスのお気に入りですね。
気にとめておく価値があることですが、アラブ世界は、ガザで起こっていることを絶えず
ライブで放映する唯一のTV報道から周到に隔離されているわけではありません。すなわち、
ロンドンのフィナンシャル・タイムズ紙が伝えたように、アル・ジャジーラの際立つ通信員
が「地上チャンネルの変わりとなる優れたその報道」によって「冷静に釣り合った観点で
分析する現地の混乱と破壊の状況」をアラブ世界に伝えているのです。
米国にいる我々が持つ、自己検閲という効率的な様相を欠く105の諸国においては、人々は
実際に起こっていることを毎時見ることができ、その衝撃は途方もないものだと言われて
います。ニューヨーク・タイムズ紙が伝えるところでは、米国における「ほぼ全面的な報道
管制は、疑いもなく、イラク戦開始の当初に米国の侵略の報道をしたことで、米政権から
アル・ジャジーラが受けた厳しい批判に関連している」とのことです。チェイニーと
ラムズフェルドが(アルジャジーラの)その報道に異議を唱えました。ですから明らかに
この独立放送局は従うしかなかったでしょう。
今回攻撃者が達成しようと望んだ目的については、いろいろ冷静な議論があります。その
目的の幾つかは一般に議論されているのですが、その中でイスラエルが2006年、レバノン
侵攻に失敗した結果失った「抑止能力」と呼ばれるものの回復があります。これはすなわち、
どのような潜在的な敵国にも威嚇を行い服従させる能力です。しかし無視されがちですが
これよりもっと根本的な目的が幾つかあります。とはいってもそれらもまた、近年の出来事
を振り返れば、かなり明らかに思えるものですが。
イスラエルは2005年9月にガザを断念します。入植運動の守護聖人アリエル・シャロンの
ような合理主義の強硬論者たちは、ガザの廃墟で数千人の不法なイスラエル人入植者がIDF
に守られながら、その土地の大半と乏しい資源を使うことに政府が補助金を出すのはナン
センスだと理解していました。むしろガザを世界最大の監獄に変え、入植者たちをもっと
ずっと価値があるウェストバンク(*ヨルダン川左岸)に移すことが、より理屈にあった
わけです。
ウェストバンクについては、イスラエルはその野心をとてもはっきりと言葉で、そして
もっと重要なことには、行動で示しています。1つのゴールは、開墾できるその土地、
給水路、そして国際司法裁判所で的外れにも違法であると宣言された、エルサレムと
テルアビブの快適な郊外地で分離壁の内側にある部分を連結することです。
これはエルサレムを大幅に拡大することになり、40年前に出され、やはり的外れである
国連安保理の勧告に違反するのです。イスラエルはまた、ウェスト・バンクのほぼ3分の1
である、ヨルダン渓谷を占領しています。ですから残っている部分は、その領土を3分割
するように突出した、ユダヤ人の入植によって囲い込まれさらに裁断されてしまった地区
になります。1つの地区は、ウェスト・バンクを分割するためクリントン政権の間じゅう
開発された、Ma'aleh Adumimという町を通り大エルサレムの東に至る部分です。二つ目は、
Ariel とKedumimという町を通り西に至る部分。パレスチナ人にとってその残りの地区は、
イスラエルがほとんど恣意的に設置している数百の検問所により分断されています。
これらの検問所はイスラエルの安全とは何の関係もなく、たとえその一部が入植者の安全
のためであるとしても、国際司法裁判所が宣言したようにまったくの違法です。実際は
それら検問所の主な目的は、パレスチナ人への嫌がらせであり、またイスラエル人の平和
活動家Jeff Halperが言う--家と土地に残ることを求めれば「瓶の中でおたおたする、
薬品漬けのコイ」になるであろう「2本足のけだものたち」にとり生を耐え難いものに
することを狙った、「支配のマトリックス」--を強化するためのものです。
このような目的はすべてイスラエルにとりまったく公正なものです、なぜなら彼ら
パレスチナ人は「我々イスラエル人に較べればバッタのようなもの」であり、それで
「その頭を石かどや壁にぶつけて滅茶苦茶になっても構わない」存在だからです。こういう
言葉使いはイスラエルの上層部の政治、軍事指導者がしますし、この表現については、
尊敬されている「王子たち」から出たものです。そしてそのような態度が同国の政策を
形作るのです。
政治、軍事指導者のこのような酷い発言は、権威者ラビたちの説教に較べれば穏やかな
ものです。ラビたちは軽い存在ではありません。それどころか、彼らは軍と入植運動に
おいては非常に影響力があり、ZertalとEldarが「ロード・オブ・ザ・ランド」(陸の神)
と明かした、政策に多大な影響力を持つ存在です。
ガザ北部で戦っている兵士たちが高位のラビ二人から「霊感を授けられる」訪問を受け
ましたが、そのラビたちは兵士らに、イスラエルの民を虐げる圧制者の子どもをとらえて
岩に投げつけるよう神に求める、有名な一節を詩編から引用して、ガザには「無辜の民」
は一人もいない、故にそこにいるあらゆる者が正当な攻撃目標である、と説明しました。
このラビたちが新種の説教をしたわけではありません。1年前には、セファルディー
(*スペイン・ポルトガル・北アフリカ系のユダヤ人)の元ラビ長がオルメルト首相に
手紙を書き、ガザにいる民間人はすべてロケット攻撃に関して集団的に有罪であり、
そのため「ロケット発射を止める目的で今後行われるかもしれない大規模軍事攻撃の間、
民間人を無差別に殺すことに対する道徳的自制は皆無である」と告げましたが、これは
エルサレム・ポスト紙がその見解を報道したとおりです。
そのラビの息子で、Safedのラビ長が、さらに次のように詳述しました。「我々が彼らを
100人殺しても彼らがやめない場合には、我々は彼らを1,000人殺さねばならない、そして
彼らが1,000人殺されてもやめないならば、我々は彼らを万人殺さねばならない。それでも
やめないならば、我々は10万人、100万人すら殺さねばならない。彼らがやめるまでどれ
ほど死者数がかさもうと。」
同じような見方が、アメリカの著名な俗人によって述べられています。2006年にイスラ
エルがレバノンを侵略したとき、ハーバード・ロー・スクールのアラン・ダーショウィッツ
はリベラルなオンライン・ジャーナル、ハッフィントン・ポスト紙で、レバノン人は
すべてイスラエルの振るう暴力の正当な攻撃目標であると書きました。
レバノン市民は「テロリズム」を支援する、すなわちイスラエルの侵略への抵抗を支援する
行為の「代価を支払って」いる。それゆえ、レバノンの民間人はナチを支援したオースト
リア人同様に攻撃を免れない。セファルディーのラビのファツワ(*宗教上の裁決)が
彼らには当てはまる、と。
エルサレム・ポスト誌のウェブサイト上のビデオの中で、ダーショウィッツはさらに、
パレスチナ人対イスラエル人の死者の割合を過度に上げるバカな話すらしました、つまり
その数は1,000対1、さらには1,000対ゼロにまで上げられるべきだと言ったのですが、
この意味は、獣は完全に抹殺されるべきであるということです。もちろん彼が言及して
いるのは「テロリスト」で、それはイスラエルの力による犠牲者を含む広義のカテゴリー
であり、なぜならば「イスラエルは決して民間人を攻撃しない」からだと彼は強調的に
明言しました。そうであれば、パレスチナ人、レバノン人、チュニジア人、そして実際には、
聖なる国の情け容赦ない軍隊の行く手を遮るどんな者であろうと、テロリストか、あるいは
その正義の犯罪による偶然の犠牲者ということになります。
こういうパフォーマンスに匹敵するものが歴史上相手側にあったかどうか、見つけるのは
容易ではありません。興味深いことには、こういう言動は支配する側の知的、道徳的文化
においてはまったく適切であると見なされるのです、すなわちそういう言動が「我々の側」
から生まれるならば。でも反対に公の敵の口からでるなら、こういう言動は正当な怒りを
引き出し復讐に大規模な先制攻撃を求めるのでしょう。
「我々の側」は決して市民を攻撃しないという主張は、暴力手段を専横する者たちには
お馴染みのドクトリンです。そしてそれには幾分の真実があります。つまり我々は一般的
には特定の市民を殺すようなことはしない、そうではなくて、我々は多くの市民を殺害する
であろう殺戮行為を実行するが、そこには特定の市民を殺害するという具体的な意図はない、
というわけです。
法律では、そのような慣行を恒常化すれば、下劣な無関心という部類に入るのかもしれま
せんが、その表現は帝国の標準的慣行とドクトリンにとってふさわしい呼び名ではありません。
その慣行ドクトリンは、蟻を踏みころすかもしれないと分かっていながら通りを歩くことに、
より似ています。分かってはいるが殺す意図はない、なぜなら蟻は非常に下等なのでまったく
重要ではないわけです。それと同じ事が、イスラエルが自分達により「解放」される土地に
偶然群がる「バッタ」や「2本足の獣」を殺すことになろうと知りながら、作戦行動を実行
するときにも当てはまるわけです。
このような倫理の堕落を表す、うまい言葉はありません、故意の殺人より悪いと言ったら物議
を醸すかもしれませんが、すべてあまりにもお馴染みのものなのです。
以前のパレスチナでは、正当な所有者(「陸の神」によれば、神の掟による。)は、
おたおたするコイに2、3の散らばった小さな土地を与えようと決めるかもしれません。
しかしながら、彼らにその権利があるからではありません。
つまり、2006年5月の両院合同会議でオルメルト首相は、「私は信じる、この日にもまだ
信じる、この全土に対する、我が国民の永久的な歴史上の権利を。」と話し熱烈な喝采を
浴びました。同時に彼は、ウェストバンクの価値あるものを取り、パレスチナ人を隔絶した
小区画の土地でやせ衰えさせるという、彼の「乖離縮小(convergence)」計画を発表しました。
彼はその「この全土」の境界について具体的には述べませんでした。しかしまたシオニスト
運動も決してそれを述べたことはありません。がこれにはもっともな理由があります。
つまり領土を常に拡張することが国内の重要な原動力ですから、もしオルメルトがリクード
という、自らの原点にまだ忠実であるなら、彼は現在のヨルダン国を含んで、ヨルダン川両岸、
少なくとも価値あるその一部を意味したかもしれません。
我々の国民の「この全土に対する永久的で歴史的な権利」という部分は、現在の住民である
パレスチナ人には自治のいかなる権利もないということと、まったく対照的です。先ほど見た
ように後者の見解は2008年12月に、イスラエルとワシントンにいるその後援者により繰り返し
述べられました、いつものようにこの2ヶ国だけ国際社会から孤立してですが。そしてその後
どの国も沈黙しました。
2006年にオルメルトが大筋を描いたこの計画は、手厳しさが不十分として、それ以降断念
されました。しかしその「乖離縮小」計画の代わりとなるもの、およびそれを実行するため
日ごとに進む行動は、その計画と大体同じ概念です。それらは占領初期の時代に当時の国防
大臣モッシュ・ダヤンが詩的にこう説明した、その時まで遡ります。「こんにちの状況は、
ベドウィンの男と、その彼が自分の意志に反して誘拐する少女との間にある複雑な関係に
似ている。パレスチナ人たちよ、一国民として、お前達は私達をこんにち望まない、しかし
我々は我々の存在を無理強いすることによりお前達の態度を変えさせる。」お前達は「犬の
ように暮らし、去ろうとするものは全て去り」、他方我々は欲しいものはすべて手に入れる
のだ、と。
これらの計画が犯罪的であるというのは全く疑いのないことです。1967年の戦争の直後、
イスラエル政府は法の最高権威者、テオドア・メロンから「管理領土内への入植は、第4回
ジュネーブ会議で明確にされた条項に違反している」と告げられますが、この条項は国際的
な人道上の法律の基礎となったものです。イスラエル法相はそれに同意しました。国際司法
裁判所は2004年にその基本的決定事項を満場一致で承認し、イスラエル最高裁も法解釈的
には賛同しましたが、実践においては賛同しておらず、これもいつものやり方です。
ウェストバンクでは、イスラエルは米国の支援で何の邪魔もなく、その犯罪的な計画を遂行
できますが、これは効果的な軍事支配、さらに今では、米国とその同盟独裁政権によって武器
を与えられ訓練された、イスラエルへの協力者であるパレスチナ治安部隊のおかげです。
イスラエルはまた、定期的に暗殺や他の犯罪も実行でき、その一方で入植者はIDFの保護のもと
大暴れします。しかしウェストバンクがイスラエルのテロにより征服されていても、パレスチナ
の片方、ガザ地区ではまだ抵抗があります。そこもまた、パレスチナの併合と破壊という、
米国-イスラエル計画が何の邪魔もなく進むため鎮圧されなければならない。
それゆえガザ侵略が行われたのです。
侵略のタイミングはおそらく、近づきつつあるイスラエルの選挙により影響されたこと
でしょう。エフード・バラクは世論調査ではひどく伸び悩んでいましたが、イスラエル人
評論家、Ran HaCohenの計算では、殺戮開始の初期には、40人のアラブ人を殺すたびに
1議席獲得したとのことです。
しかし、それが変わるかもしれません。この犯罪が、注意深く研ぎ澄まされたイスラエルの
政治宣伝が抑えることができる点を超えたため、確信犯的タカ派も心配になりました、この
虐殺が「イスラエルの魂とイメージを破壊している。それを世界のTV画面上で、他国の地域
社会の家の居間で、そして最も重要なことには、オバマが大統領になる米国で(アリ・
シャヴィト:*ハーレツ紙コラムニスト)。」シャヴィトが特に懸念したのは、イスラエルに
よる「国連施設への砲撃で、これは国連総長のエルサレム訪問の当日であり」、「狂気すら
越えた」行為だと彼は感じたのです。
2,3の細かい点を加えれば、その「施設」はガザ市にある国連の敷地で、その中にUNRWA
(国連難民救済事業機関)の倉庫がありました。その砲撃はUNRWAディレクターのJohn Gingに
よれば「本日、避難所や病院、食糧配給センターに配布する予定であった緊急食糧と医薬品
数百トン」を破壊しました。同時に行われた軍事攻撃で、al-Quds病院の二つの階が破壊されて
病院は炎上し、パレスチナ赤十字社経営の二つ目の倉庫もまた破壊されました。
人口密集地域にあるTal-Hawa地区の病院は、「その中にイスラエル陸軍により押し込まれて、
数百人のおびえたガザ住民が避難していたところを」イスラエル戦車が破壊したと、AP通信
が伝えました。
くすぶる廃墟となったその病院の内部から救うものは何も残されていませんでした。
「彼らはこの建物、この病院の建物を砲撃した。それは出火した。我々は病人や負傷者、
そこにいた人達を避難させようとした。戦闘機がやってきて火を消した、がそれはまた
炎になって燃え、戦闘機がまたそれを消し、そしてまた3度目に燃えついた」と、
救命士のAhmad Al-HazがAP通信記者に語りました。そこからその炎は白燐弾により出火
したかもしれないと推測されましたが、それはまた他の多数の出火や重傷の火傷のついても
疑われています。
この疑いは、激しい空爆がやみ調査が可能になった時点でアムネスティ・インターナショナル
(AI)によって確認されました。これ以前イスラエルは、狂暴に犯罪を犯している間、イスラ
エル人も含みすべてのジャーナリストの立ち入りをうまく阻止していました。ガザ民間人に
対するイスラエルの白燐弾使用は「明らかであり、否定できない」とAIが報告しました。
人口が密集した民間人居住地域でそれを繰り返し使用することは「戦争犯罪である」と
AIは結論づけました。AIは、住宅地の建物のまわりで散らばった白燐弾の先端がまだ
燃えていて、「住民とその財産」そして特に「戦争の残がいの破片に引きつけられ、
その危険性を知らないことも多い」子どもたちを、さらに危険にさらしていることに
気付きました。
彼らの報告では攻撃の主目標はUNRWAの敷地であり、そこでイスラエルが使った「白燐弾が、
燃料を積んだ数台のトラックのそばに落ち、その後大きな火事となり何トンもの人道援助を
破壊した」が、その前にイスラエル当局は、これ以上その敷地を空爆しないとの確認を
出していたそうです。同じ日に「白燐弾がガザ市のal-Quds病院に着弾し、これもまた火事
を起こして、職員は患者達を避難させざるをえなかった。皮膚に当たった白燐弾は筋肉の
奥深く、骨の中まで達して燃え、酸素がある限り燃え続ける。」と報告しています。故意に
狙ったものであれ、下劣な無関心を超えるものであれ、この兵器が民間人への攻撃に使われ
れば、このような犯罪が起こるのは必然です。
しかしながらイスラエルのjus in bello、すなわち、あまりに野蛮な慣行を禁じるための
法律に対する甚大な違反だけを集中的に非難するのは間違いです。侵略そのものがはるかに
重罪であるのです。たとえ今回イスラエルが、弓矢でひどい損失を与えていたとしても、
それでもガザ攻撃は極端に下劣な犯罪行為でしょう。
侵略には口実がつきものです。今回の場合はバラクが表現したように、ハマスのロケット
攻撃に直面してイスラエルの忍耐が「切れた」というものです。終わることなく繰り返さ
れるマントラは、イスラエルは自衛のため武力を使う権利があるということです。
この理論は部分的に弁護できます。ロケット攻撃は犯罪ですし、なるほど国家には犯罪的
攻撃に対し自衛権があります。
しかし武力によって自衛する権利があるということにはなりません。それは我々が認める
であろう、あるいは認めるべきであるどんな原則をも、はるかに超えます。ナチスドイツ
には、パルチザンのテロ攻撃に対し自らを守るのに武力を使う権利はまったくありません。
「水晶の夜」(*)は、Herschel
Grynszpanが行った、パリのドイツ大使館外交官殺害によって
は正当化されません。英国民が、独立を求める植民地のアメリカ人によるテロ(まさに本物
のテロ)に対して自分達を守るため、あるいはIRAのテロへの返礼としてアイルランドの
カトリック教徒にテロ行為をするため、武力を使ったことは正当化されません。そして
英国民が、敵側の正当な不平の解消に取り組もうという分別ある政策へとやっと向いたとき、
テロは終わったのです。
それは「釣り合い」の問題ではなく、そもそも行動選択の問題なのです。暴力を使わない
他の手段があるかどうかの。
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*(Kristallnacht :1938/11/7 在パリドイツ外交官をふたりのユダヤ人青年が暗殺した報復に、
9日、10日にかけ、ドイツ・オーストリア内のユダヤ人住居、商店、シナゴーグをナチス党員・
突撃隊が襲撃、放火し、多数の死傷者、ユダヤ人逮捕者を出した事件。これがホロコーストの
始まりと言われる。参考サイト:http://ja.wikipedia.org/wiki/水晶の夜)
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武力へ訴えることは何であれ、その正当性の立証という重荷を伴います、そして我々は、
ガザとウェストバンクでイスラエルが、40年たってもまだ情け容赦なく続けている自分達の
日常的犯罪行為に対するどんな抵抗でも鎮圧しようとする、その行為について、その立証が
可能かどうかを問わねばなりません。
オルメルトが発表したウェストバンクの乖離縮小計画に関して、イスラエルの報道に
載ったインタビューでの私自身の発言を以下に引用してみます。「米国とイスラエルは
これらの計画に対するどんな抵抗も許さない、そして長い道のりを引き返すこれらの計画
を進めるときに「パートナーはいない」(むろんそれは誤りだが)というふりをするのを、
むしろ好むのだ。我々はガザとウェストバンクがひとつのものとみなされていることを
思い出すだろう、その認識のため、米国-イスラエルによる併合・分割計画への抵抗が
ウェストバンクにおいて正当であるのなら、それはガザでも正当なのだ。」
パレスチナ系アメリカ人ジャーナリスト、アリ・アブニマーは、「ウェストバンクから
イスラエルに向けて発射されたロケットはひとつもない。それなのに、停戦の間、一日たり
とも、イスラエルによる違法な殺人、土地強奪、住民虐殺と誘拐は決して止むことがなかった。
西洋が支持するマフムード・アッバスのパレスチナ自治政府は、イスラエルのあらゆる要求
事項に同意した。米国軍事顧問の誇らしげな監督下、アッバスはイスラエルに代わって抵抗
勢力と戦う「治安部隊」を召集した。その部隊はイスラエルの容赦ない植民地化から、ウェスト
バンクにいるパレスチナ人を、ひとりたりも免除しない」と述べていますが、その植民地化は
米国が強力に支援しているおかげです。尊敬されたパレスチナ議会議員であるムスタファ・
バルグーティ博士はこれに付け加えて言っています。ブッシュが2007年11月にアナポリス
(訳注:メリーランド州の海軍兵学校)で、平和と正義への献身につい大いに気持ちを高揚
させるレトリックで大げさなスピーチをしたあと、パレスチナ人へのイスラエルの攻撃は急激
にエスカレートし、ウェストバンクでは50%の増加となり、イスラエル側の入植と検問所も急増
した、と。明らかに、これらの犯罪行為はガザからのロケット攻撃への反応ではありません。
その反対(イスラエル側への対抗としてロケット攻撃すること)は当然あるでしょう、バル
グーティの指摘がもっともと思われるように。
占領勢力の犯罪への抵抗は、罪であり政治的に馬鹿げていると非難されることがあります、
しかしその抵抗の代わりとなるものを提供しない者たちには、そのような非難の判断を下す
道徳的根拠が全くありません。そのことはイスラエルが続行するこの犯罪に直接的に、
言葉で、言動で、あるいは沈黙により連座している米国内の人たちにも特にあてはまります。
それは(*彼らの判断に道徳的根拠がないということは)、暴力にとって代わる、とても
明確な非暴力の代替手段があるという事実によりいっそう、そうであると言えます。しかし
ながら、それらの非暴力的手段は、不法な領土拡大計画を阻むという、(*米国、イスラエル
にとっての)不利益があるのです。
イスラエルには、自らを守る一直線の方法があります。占領地域での犯罪行為をやめて、
国際合意されて長らく経つ、二国家共存案の紛争解決策を受け入れることです。この解決策は、
1976年にこれらの条件よる政治解決を求める安保理決議に対して、米国が初めて拒否権を行使
して以来30年以上の間、米国とイスラエルにより阻止されています。
ここでその不名誉な記録をもう一度振り返ってみることはしませんが、米国-イスラエルの
拒否主義が現在、これまで以上に露骨であることに気付くのは重要です。アラブ連盟は
この国際合意よりさらに進んで、イスラエルとの完全な国交正常化を求めています。
イランとヒズボラは、パレスチナ人が受け入れるどんな合意も自分達は遵守すると明確に
表明しています。
ということは、米国とイスラエルが、完全に孤立していることになります、言葉だけでなく。
これよりもっと詳しい記録がいろいろ教えてくれます。パレスチナ民族評議会は1988年に
この国際合意を公式に受け入れました。シャミール・ペレスの連立政権の反応は、そして
これはジェームズ・ベーカーの国務省により支持されたものですが、イスラエルからヨルダン
--後者は米国とイスラエルの一方的宣告によれば、それだけで1つのパレスチナ国家です--
までの間に「もうひとつのパレスチナ国家」はあり得ないというものでした。
この後のオスロ合意はパレスチナ人に民族の諸権利を与える可能性を脇にやり、それら
諸権利が何らかの有意義な形で実現されるかもしれないという恐れはイスラエルが不法入植
を絶えず拡張することにより、このオスロ合意の数年の間に組織的に減らされました。入植
はクリントン大統領とバラク首相の任期最後の年、2000年に加速し、このときの交渉は
そういう背景のもと、キャンプ・デーヴィッドで行われました。
キャンプ・デーヴィッドの交渉がダメになったことでヤセル・アラファトを非難した後、
クリントンは手ぶらでワシントンに戻り、米国-イスラエルの提案はどんなパレスチナ人に
とっても極端すぎて受け入れられないと理解しました。
2000年12月に、彼は自分の「パラメーター」(*交渉の限定要素)を提出しました。
これは曖昧でしたが、以前の交渉条件よりは、もっと実現しそうなものでした。彼は両者
がそのパラメーターを受け入れたと発表しましたが、一方で両者は懸念を表明しました。
両者は2001年1月、エジプトのTabaで会合し、合意まで一歩のところに近づきました。
もう数日あれば合意していただろうと、最後の記者会見で語ったくらいですが、実際には
交渉はエフド・バラクにより、早めに打ち切られたのです。 Tabaでのその一週間は、
30年以上にわたる米国-イスラエルの拒否姿勢が少しとぎれたときでした。過去のその
とぎれが、今後再び起こりえないという理由はどこにもありません。
人々がより好み、イーサン・ブロナーによって最近繰り返された見解は、「海外にいる者の
多くは、バラク氏が首相だった2000年にどのイスラエル指導者よりもパレスチナ人に対して
歩み寄ったのに、結果的に交渉は失敗し、彼を政権から追い払うこととなったパレスチナ人の
暴動になっただけであった」というものです。なるほど「海外にいる多くの者」はこの欺瞞の
おとぎ話を信じています、ブロナーとあまりに多い彼の同僚たちが「ジャーナリズム」と呼ぶ
もののおかげで。
現在一般に主張されていることは、IDFが入植者を立ち退かせようとすれば内戦に至る
だろうから、二ヶ国共存の解決策は今や達成不可能であるということです。そうかもしれ
ません、がもっともっと議論することが必要です。不法な入植者を追放するのに暴力を使用
することなく、IDFはただ単に、交渉により確定されるどんな境界線であろうともそこまで
撤退することができるでしょう。それらの境界線より向こう側にいる入植者たちは、助成金
をもらった家を出てイスラエルに戻るか、あるいはパレスチナ自治政府の下に留まるかという
選択肢を持つでしょう。
同じ事が2005年に周到に実施された、ガザでの「国民的トラウマ」についても当てはまります
が、これは明らかに欺瞞であり、イスラエルの解説者たちに嘲笑されました。イスラエルは、
IDF を撤退させると発表すれば十分だったでしょう。そしてガザでの生活を楽しむよう助成金
をもらっていた入植者たちは提供されたトラックに静かに乗り込み、ウェストバンクにある、
新しく助成金をもらった住居に移ったことでしょう。そうすれば、その移転に悲嘆する子ども
たちの悲劇的写真や、「もう二度と立ち退かない」という感情的な声を生むことはなかった
でしょう。
要するに、絶えず繰り返される主張とは正反対に、イスラエルにはガザからのロケットに
対して、自衛のため武力を使う権利はまったくないのです、たとえロケット攻撃がテロリスト
による犯罪と見なされるとしても。さらにその理由は明白です。(イスラエルがガザへの)
攻撃を行う口実には何の見るべきものもありません。
また別に、これより狭い視野でみた問題があります。イスラエルはガザからのロケットに対抗
する武力行使に代わる、短期的な平和的手段があるかという疑問です。その(手段の)1つが、
停戦を受け入れることでしょう。これまで時にはイスラエルはそうしました、が他方ですぐさま
それに違反しました。最近の、そして今のガザ攻撃と関連するケースは2008年の6月です。
その停戦は「ガザに搬入するのを禁止されているものと制限されているもの、すべての物品の
移送を認めるため」境界検問所を開くことを要求しました。イスラエルは公式には同意しました、
しかし直後に発表されたのは、その合意を守り境界を開くのは、ハマスが2006年6月に捕虜に
したイスラエル兵、Gilad Shalitを解放してからだ、と発表しました。
Shalit 拘束への非難を絶えず声高に主張するのもまた、見え透いた偽善です、イスラエルが
パレスチナ人たちを長い間誘拐し続けている事実を除いても。このケースでのその偽善性は
これ以上はないほどに紛れもないものです。
ハマスがShalitを捕虜にする以前のある日、イスラエル兵がガザ市に入り、民間人である
ふたりのMuammar兄弟を誘拐、イスラエルに拉致し、そこで拘束されているパレスチナ人
の数千人、そのうちほぼ1,000人は何の罪状もないと伝えられますが、その人たちと同様に
投獄しました。
民間人を拉致することは、攻撃中の軍隊の兵士を捕虜にするよりはるかに重罪ですが、
この事実は、Shalit拘束への怒りとは対照的にほとんど報道されませんでした。そして
(イスラエル人の)記憶に残る、平和への障壁となっているすべては、Shalitが捕虜とされて
いることなのですが、それは人間と二本足の獣の相違を反映する別の例です。Shalitは返還
されるべきです、公正な捕虜交換において。
イスラエルのガザへの容赦ない軍事攻撃が、単に悪であるものから、本当に残虐なものへと
なったのは、Shalitが捕虜にされてからです。しかし彼が捕虜になる前でも、9月に撤退した
のちイスラエルがガザ北部に7,700以上の砲弾を撃ち、そして実際どこからもコメントが
なかったという事実は、思い出してよいものでしょう。
イスラエルは2008年6月の停戦を受け入れたあとで拒否し、その後は包囲を解きません
でした。ここで包囲というものは戦争行為であることを思い出すでしょう。実際イスラエル
は常に、前よりはもっと強い原則を主張してきました。
例えば、外部世界へのアクセスを妨害するのは、それが包囲にまでならなくても、戦争行為
ですが、そうしておいてロケット攻撃に対する大規模攻撃を正当化します。ティラン海峡を
通るイスラエル船の航行への干渉を口実の一部に、1956年には(英仏と共に)エジプトを
侵略し、1967年6月にはエジプトへミサイルを撃ち、戦争となりました。イスラエルのガザ
包囲は一部だけでなく、占領者がたまにそれをわずかに緩める気になるときを除いて全面的
に行われています。そして、この封鎖がガザの人々に与える被害は、エジプトによるティラン
海峡封鎖がイスラエルに与えたそれより、はるかにひどいのです。そのため、イスラエルの
教条と行為の支援者が、ガザ地区からのイスラエル領土へのロケット攻撃を正当化するのに
苦労しない(*情報が外部に出ないため)のは、当然なのです。
むろん、私たちはここでまた例の、すべてをチャラにする原則に出くわすのです。これは我々、
あれは敵という。
イスラエルは2008年6月のあと、ただ単に包囲を維持しただけでなく、それも過激に行いました。
UNRWAが救援物資の貯蔵を補充するのさえ阻止し、「それで停戦が崩れたあと、我々はここを
頼る75万人の人々のための食糧が底をついた」とUNRWAの現地指揮をするJohn
GingがBBCに
伝えました。
イスラエルの包囲にも関わらず、ロケット攻撃は大幅に減少しました。停戦が崩れたのは
11月4日、イスラエルがガザを急襲して6人のパレスチナ人が死に、ハマスが報復のため
たくさんのロケットを撃った(負傷者はなし)ときです。
この急襲の口実は、またイスラエル兵を捕虜にするため使用しようと意図されたかもしれない
トンネルがガザで見つかったということでした。もしそんなトンネルが存在し、国境に達して
いるのなら、イスラエルはまさにそこで、簡単に阻止できたことでしょう。しかしいつもの
ように、滑稽なイスラエルの口実は信用できると思われたのです。
イスラエルのこの急襲の理由は何だったのでしょう?これについてイスラエルの国内事情が何か
関係した証拠はありません、しかし実際にわかっていることは、英国の通信員ロリー・
マッカーシーが報道したところでは、この急襲が、ハマスとファタハが「相違点を一致させ、
ひとつにまとまった政府を創設する」目的でカイロにて行う予定であった話し合いの直前に
行われたという点です。
それはガザをハマスの支配下に置いた2007年6月の内戦以来初めてのファタハとハマスの会合
になるはずのもので、実現していれば、外交的努力を進める方向への大きな一歩になっていた
でしょう。もうここでいくつか述べましたが、イスラエルは外交になりそうな恐れが生じる
と挑発してそれを阻止するという行為を長くやってきています。今回もその類だったかも
しれません。(***)
ハマスにガザを支配させることになった内戦は一般には、ハマスの軍事クーデターと言われます。
実態は少し異なります。その内戦は、ハマスを政権につかせた自由選挙を転覆させるために
軍事クーデターを露骨に試みた、米国とイスラエルにより引き起こされました。このことは
少なくとも2008年4月に世界が知るところとなりました。
デヴィッド・ローズがバニティ・フェア誌で詳細に文献を添えた記事を発表し、ブッシュと
ライス、国家安全保障顧問副次官エリオット・エイブラムが「ファタハ有力者ムハマド・
ダーラン指揮下の武装勢力を支援し、ガザでの流血の内戦を誘発し、その結果ハマスを
以前よりも強力にした」と伝えたのです。
この記事の見解をノーマン・オルセンはクリスチャン・サイエンス・モニター紙(2009/1/12)
で補強しました。オルセンは米国国務省外交局に26年在籍し、そのうち4年間はガザ地区で、
4年間はテル・アビブの米国大使館で勤務し、その後出世して国務省のテロ対策コーディ
ネーター補佐役になりました。オルソンとその息子は、自分たちの候補者アッバスがもし
勝利する場合には民主主義の勝利として歓呼されていたであろう、2006年1月の選挙に勝利
するのを確実にすることを意図したペテンを、米国国務省に細かく伝えました。
この選挙操作が失敗したあと、彼らはパレスチナ人に懲罰を与えようとして、ファタハの
有力者ダーランが率いる民兵組織を武装しようとしましたが、「ダーランの一党が早く動き
過ぎ」、ハマスの先制攻撃によりこの軍事クーデターの試みは切り崩され、その結果ガザ
の不従順な人々に罰を与えるため米国-イスラエルが以前よりずっと厳しい手段を講ずる
こととなったのです。その党路線が、より受け入れられるのです。
イスラエルが2008年6月の停戦合意を(実際そうであるように)11月に破ったあと、
ガザ包囲はさらに強化され、ガザ地区の人々にとってさらに酷い結果となりました。
ガザに関する優れた学術研究者であるサラ・ロイによれば、「11月5日に、イスラエルはガザに
入るすべての検問所を封鎖し、食糧、医薬品、燃料、調理用ガス、給排水システムの部品の流入
を大幅に減らし、時にはそれらの流入を許さなかった」のです。11月の間、ガザに入る食糧
トラックは、10月が1日平均123台だったのに較べ、1日平均4.6台となりました。水関連の
装置の修理と保全のための予備部品は1年以上も搬入を認められていません。WHOが報告した
ばかりですが、「ガザにある救急車の半分は故障しており」、その残りもすぐにイスラエルの
攻撃の的になりました。ガザに1つだけある発電所は燃料がないためやむを得ず操業を中止し、
そして部品交換が必要なため再開ができませんでした、なぜなら8ヶ月間イスラエルのAshdod港
でその部品が足止めされているからです。電気不足のためガザ地区のShifaa病院では火傷が300%
増加しましたが、これは薪に火をつけようとしたためです。イスラエルは塩素の出荷を封鎖し
ましたから、そのためガザ市と北部では12月中旬までには水を使えるのは3日ごとに6時間に
制限されました。こういうことで命を亡くした場合は、イスラエルのテロ行為によるパレス
チナ人犠牲者のうちに数えられていません。
11月4日のイスラエルの攻撃後、両者は暴力をエスカレートさせ(死者はすべてパレスチナ人)、
ついに12月19日に停戦が公式に終わり、オルメルト首相が全面的侵略に許可を与えました。
その数日前、ハマスはもともとの7月の停戦合意に戻ることを提案していましたが、それを
イスラエルは守っていませんでした。歴史家でカーター政権当時の政府高官ロバート・パスター
がその提案をIDFの「高官」に回しましたが、イスラエルは応じませんでした。イスラエルの
国内安全保障局、Shin Betの局長が語ったとして12月21日にイスラエル筋が伝えたのは
「ハマスはイスラエルと「鎮静」を続けることに興味があるが、その軍事部隊が闘争の準備
を継続している」ということでした。
「ロケット攻撃を止めるための軍事的アプローチに代わる方策は明らかにあった」とパスターは、
ガザの狭い問題に限って語りました。それとはまた別にはるかに遠大な代替手段があったのです。
がそれはめったに論じられません。すなわち、すべての占領地域を含む政治的解決を受け入れる
ことです。
イスラエルの外務高官Akiva Eldarの報告によれば、イスラエルが12月27日土曜日に全面的な侵略
を開始する直前、「ハマス政治局長 Khaled MeshalがIz al-Din al-Qassam
Webサイトで、彼には
「攻撃停止」以外の用意があると述べた。彼は、2005年のラファ検問所の合意に遡ることを
提案したのだが、これはハマスが選挙に勝利し、その後その地域を受け継ぐ以前の合意で、
その検問所がエジプト、EU、パレスチナ自治政府代表そしてハマスにより合同で行われる
というものであった」ということで、前にも触れたように、どうしても必要な物質を入れる
ため検問所を開くことを求めたのです。
イスラエルの暴力を弁明する人たちのうち、より通俗的な考え方をする人々の一般的な主張は、
現在のガザ攻撃のケース、そして「過去半世紀のあまりに多くの事例、たとえば1982年の
レバノン戦、1988年インティファーダへの「鉄拳」の反撃、2006年のレバノン戦- では、イス
ラエル人は許せないテロ行為に対し、酷い苦痛を押しつけて敵側に教訓を教えるという決意で
反撃した」(ニューヨーカー誌編集長デヴィッド・レムニック)というものです。 2006年の
侵略は、既に述べましたように、その正当化の根拠はただ、ぞっとするような冷笑にしかあり
えません。
1988年のインティファーダへの狂暴な反撃に対する言及はあまりに酷く、議論さえできま
せんが、同情的に解釈すれば、その言及は驚くべき無知を反映しているということかもしれ
ません。しかし1982年の侵略に関するレムニックの主張は、非常に一般的なものであり、
これは絶えず流されるプロパガンダの素晴らしい手柄ですが、2,3思い出してみた方が
いいことがあります。
異論のないことでしょうが、イスラエル-レバノン国境は、イスラエルが侵略する以前の1年間、
衝突はありませんでした、少なくともレバノンからイスラエル、北から南にかけては。その年
の間、PLOは米国主導の停戦にきちんと従っていました、イスラエルが絶えず挑発をしかけて
いたにも関わらずです。その挑発には多くの市民に死傷者を出す空爆もありましたが、これは
何らかの反攻を誘い、その結果イスラエルが周到に計画している侵略を正当化するのに使える
よう意図したものだろうと思われます。イスラエルが挑発の成果を得たのは、2度の象徴的な
軽い抵抗がせいぜいでした。その後イスラエルは、真に受けるのがばからしいほどの口実で侵略
を行ったのです。
その侵略は「寛容できないテロ行為」とは、正確には何の関係もありませんでした、とはいえ
それは許すことができない行為に実際関わるものだったのです、寛容できない外交上の行為
にです。そのことはそれ以来ずっと明らかなことです。米国支援の侵略が開始されたすぐ後、
パレスチナ人に関する有名な学者のYehoshua Porath、彼はハト派などではありませんが、
その人物が、アラファトがうまく停戦を維持できたことは、「イスラエル政府から見れば、
全くの大失敗となった」と書きましたが、なぜならそれは政治解決への道を開いたから
なのです。イスラエル政府はPLOがテロ行為に訴え、その結果PLOが「今後の政治調停の
正当な交渉相手」になる恐れが無くなるように望んでいたのです。
それらの事実はイスラエルにおいては十分理解されていて隠されてはいませんでした。
イツハク・シャミル首相は、イスラエルは「恐るべき危険、軍事的なものであるよりはむしろ
政治的な危険」があったから戦争を行ったと述べ、これにすぐさま反応してイスラエルの優れた
風刺家B.Michaelが、「軍事的危険、あるいはガリラヤにとっての危険という、下手な言い訳は
おしまいだ」、我々は今や「神よ感謝します、交渉の相手が誰もいないことに」と言える間に
先制攻撃により「政治的危険性を取り除いてしまった」と書きました。歴史家のベニー・
モリスは、PLOがこの停戦を守ったと認め、「この戦争の根底には、PLOがイスラエルにとり、
そして占領地域へのイスラエルの支配にとって政治的脅威であったことが必然的にある。」と
解釈しました。他の人々も、この確固たる事実を率直に認めています。
ニューヨーク・タイムズの一面のthink-pieceというコラムで先日のガザ侵略に関して、
NYTの通信員スティーブン・リー・マイヤーは「いくつかの点で、このガザ攻撃は、
1982年にヤセル・アラファトの勢力の脅威を減らそうとイスラエルがレバノンに侵略する賭
に出て、ほぼ負けたことを思い出させるものだった」と書いています。彼のこの見方は
正しいです、しかし彼が考える意味においてではありません。1982年にも、2008年において
と同様に、政治解決の脅威を減らすことが必要だったのです。
今回イスラエルのプロパガンダ伝道者たちは、イスラエルは「許すことができないテロ行為」
である、ガリラヤに降るロケットへ反撃に出たという話を、西洋知識人とメディアが信じる
よう望んでいました。そして彼らの期待は裏切られていません。
イスラエルが平和を望まないわけではありません。なぜなら誰でも平和を望むからです、
ヒトラーでさえも。問題は、どういう条件で?ということなのです。
シオニスト運動はその起源より、目標を達成するために最良の戦略は政治解決を遅らせ、
その間にゆっくりと既成事実を積み上げることであると理解していました。これまで時折、
1947年のそれのように合意がなされたとしても、それは政権指導層には、さらなる拡張への
一時的段階と認識されていました。1982年のレバノン戦は、イスラエルが外交上の解決を
恐れて必死になった劇的な例です。
この戦争のあとイスラエルは、世俗的なPLOの勢力を弱め、PLOが平和解決の主導をとる
苛立たしさを無くそうと、ハマスを支援しました。このようなことのもう一つの例でよく
知られているはずのものは、1967年のシリア戦以前のイスラエルの数々の挑発です。
これは暴力と領土拡大の口実として使えるよう、シリアの反撃を引き出す目的で行われ、
国防大臣モーシェ・ダヤンによれば衝突のうちの少なくとも80%がイスラエルの挑発
でした。
この話はさらにずっと遡ります。建国以前のユダヤ人の軍事組織であるハガナー(*訳注:
「防衛隊」参考サイト:http://www.asyura2.com/0505/war72/msg/510.html)の公式記録の記述に
よれば、宗教詩人であるユダヤ人Jacob de Haanは、伝統的ユダヤのコミュニティ(the Old
Yishuv)とアラブ高等会議(the Arab Higher Committee)と共謀して新たな植民と入植事業に
反対したことを非難され、暗殺されました。それ以来、このような例は数多くあります。
政治調停を遅らせようとする努力はこれまで常に、それに伴って喧伝される「平和を交渉する
相手を捜す困難さ」についての嘘とともに、全く合理的であると受け止められてきました。
相手が渡さない土地を取り上げるためには、それ以外の別の方法を考えるのは難しいです。
同じ理由が、安全保障よりも領土拡張を好むイスラエルの態度の根底にあります。2009年
11月4日の停戦違反は、その例が最近たくさんあるうちのひとつです。
アムネスティ・インターナショナルの年次報告では、2008年6月の停戦は、「ガザ近くの
Sderotと他の村々において、生活の質を大きく向上させた、なぜなら停戦以前はそれらの
地域の住民は、パレスチナのロケット攻撃が次にいつ行われるかという恐怖の中で暮らして
いたからである」とあります。
しかしガザ近辺のイスラエルの町にとって安全が増すという利益よりも、ウェストバンクの
領土拡張に支障をきたすかもしれない外交的解決への動機を阻止し、パレスチナ内部に残る
抵抗勢力をすべて押しつぶす必要があるとの感覚の方が、明らかにまさったのです。
安全保障よりも領土拡張の方を好む思惑は、ヘンリー・キッシンジャーが支持した
1971年のイスラエルの運命的な決定以来、特に顕著です。この決定は、パレスチナ人には
何も得るものがない、エジプトのサダト大統領の提案による完全な和平条約を拒否するもの
でした。それはイスラエルにとって大損害となった大きな戦争から8年後に、キャンプ・
デーヴィッドで米国とイスラエルが飲まされた合意です。エジプトが仲裁する和平条約が
締結されていたなら、安全保障上の大きな脅威はそこで終わっていたでしょうが、そこには
受け入れがたい代償があったのです。
すなわちイスラエルは、シナイの北東部での大規模入植計画を断念させられることになると
いう条件が。イスラエルにとり安全保障は当時、今まだそうであるように、領土拡張よりも
優先順位が低かったのです。イスラエルのこの基本的政策決定への実質的裏付けは、Zeev
Maozによる、イスラエルの安全保障と外交政策に関する重要な研究である「Defending
the Holy Land」において述べられています。
こんにちイスラエルは安全保障も、関係正常化も、パレスチナへの統合も、実現し得るの
です。しかし実際はあきらかに、不法な領土拡大、闘争、反復的な暴力の行使、犯罪行為
で殺人的、破壊的であるだけでなくイスラエル自らの長期的安全保障を浸食する数々の行為
の方をより好んでいます。
米国軍事および中東の専門家であるアンドリュー・コーデスマンが次のように書いています。
イスラエルの軍隊は確かに、自衛のすべもないガザを壊滅することができるが、一方で
「アラブ世界で最も賢明で最も穏健な有力者のうちのひとり、サウジアラビアのトゥルキ・アル・
ファイサル王子の(苦々しい)反応を生むような戦争からは、イスラエルも米国も何も得る
ことができない、そしてその王子は1月6日に「ブッシュ政権は吐き気を催す遺産と、ガザの
虐殺と流血に対する無謀な立場を[オバマに] 残した。もうたくさんだ。今日我々はみな
パレスチナ人であり、ガザで死んだ人達の後に続き、神のため、パレスチナのため殉教
したいと求める」と語ったと。
イスラエルで最も賢明な有識者のひとり、ウリ・アブネリは今回のイスラエルの軍事的勝利
の後に書いています。
「世界の意識のうちに今後焼き付けられるのは、いつでも喜んで戦争犯罪を行い、倫理上の
制約を守るつもりのない、血塗られた怪物としてのイスラエルのイメージである。この
イメージは我々の未来に、世界での我々の立場に、我々が平和と安穏を達成できるかどうか
の可能性に、深刻な結果をもたらすだろう。結局、この戦争は我々自身に対する犯罪でも
ある。イスラエル国家に対する犯罪なのだ。」
彼の言うことが正しいとする十分な理由があります。イスラエルは故意に自らを、多分世界で
最も憎まれた国に変えつつあり、さらに西洋の人々の忠誠を失いつつあります。その中には
アメリカの若いユダヤ人も含まれますが、彼らはイスラエルの執拗で衝撃的な犯罪を長らくは
許さないでしょう。何十年か前に私は「イスラエル支持者」を自称するものは、実際は自分の
モラルの低下と、それから当然生じる身の破滅を支持しているのだと書きました。残念ながら、
その批判はますますあたっているように見えるのです。
一方我々は歴史上まれなできごとであり、イスラエルの社会学者故バールフ・キマーリングが
「ポリティサイド」と呼んだもの、すなわち(パレスチナの)政体抹殺(the murder of
a nation)が我々のせい(at our hands)で起こっているのを静かに見つめているのです。
(終)
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(*)J.コンラッド『闇の奥』原題 "Exterminate all the brutes" はここでの文脈に合うように
訳しました。
最後の一文のat our hands のour は、アメリカ人のことを指しているはずです(「我々が
アメリカにいる理由は何でしょう?」より)が、アラブ諸国を含む国際社会を指している
ように感じます。
参考サイト:ブログ「私の闇の奥」http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2006/12/index.html
参考:サパティスタ民族解放戦線 マルコス副司令官のガザについてのスピーチ
(**) この「パレスチナ自治政府」をチョムスキーは青色にしていますがそれは、実質「自治権」
を拒否しながらその言葉を平然と使うライス(米国・イスラエル)の欺瞞性を示している
と思われます。
(***) 参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/ガザ地区
「 1999年11月、パレスチナ自治政府はイギリスのブリティッシュ・ガス社とガス田探索
の契約を結び、2000年、ブリティッシュ・ガス社はガザ沖に天然ガスを発見した。
契約では、ガス田の権利の6割をブリティッシュ・ガス社が、1割をパレスチナ自治政府が持つ。
しかし、イスラエルはガザ地区を実効支配したハマスに資金が流れることが我慢ならず、
パレスチナのガス田を自国のガスパイプラインに結ぼうとブリティッシュ・ガスと交渉中
である。ガス田利権が、ガザ侵攻の理由の一つという指摘もある。」
(訳:レンゲメレンゲ)
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