回覧メールより《緊急アピール》2010/2/20

     【緊急署名 沖縄の民意に応えてください】にご協力下さい!!

  《緊急アピール》

 【緊急署名 沖縄の民意に応えてください】にご協力下さい!!

   井上澄夫(埼玉県新座市、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)
   加賀谷いそみ(秋田県男鹿市、男鹿の自然に学ぶ会)
   奥田恭子(愛媛県松山市、心に刻む集会・四国)
   廣崎リュウ(山口県下関市、下関のことばと行動をつなぐ『海』編集委員)

 参議院で民主党を中心とする会派(民主党・新緑風会・国民新・日本)が過半数と1議席、122議席
を占めました。自民党を離党した2議員が1人は民主党に、もう1人が国民新党に入党したからです。
これにより、政局の潮目が急速に変わり始めました。民主党は社民党の協力がなくても参院を牛耳る
ことができるようになったからです。

 この潮目の変化は、早速、普天間基地の移設先をめぐる政府・与党の態度に明瞭にあらわれました。
政権の一角を占める国民新党が、嘉手納統合案とキャンプ・シュワブ陸上案を沖縄基地問題検討委員会に
提出することを明らかにしましたが、政府内でもキャンプ・シュワブ陸上案を選択する動きが急浮上して
います。

 現行の辺野古案は、キャンプ・シュワブにまたがる形で辺野古沖と大浦湾を埋め立ててV字型滑走路を
建設するものですが、急浮上した案はキャンプ・シュワブ内にヘリパッドや滑走路を造るというものです。

 しかしこれは、鳩山首相が昨夏の衆院選前に沖縄市で掲げた「最低でも県外」という公約を自ら踏み
にじるものであり、名護の稲嶺新市長が辺野古移設は「海でも陸でも反対」と鮮明にのべるなど、沖縄の
人びとは猛烈に反発し憤激しています。今や沖縄の民意は「県内移設絶対反対」です。

 この切迫した事態に対応するため、私たちは新たな署名運動を考えましたが、首都圏で活動する
「辺野古への基地建設を許さない実行委員会」(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックなど39の市民団体・
労働組合で構成)が下記の署名運動を始めましたので、それへの協力をみなさんに訴えることにしました。
署名の趣旨は鳩山首相に対し「沖縄の民意に応えてください」と要請するものです。

 この緊急アピールは、昨年12月から今年1月にかけて行なわれた「鳩山連立政権に対し辺野古移設の
断念など3項目を求める市民の共同要求運動」にご賛同いただいたみなさんに送信します。どうか至急
ご協力下さい。

   【緊急署名 沖縄の民意に応えてください】─メールでの署名の呼びかけ─
     ■ 辺野古への基地建設断念と普天間基地の無条件返還を求めます ■
     ● 署名は鳩山内閣総理大臣に提出します。


◆鳩山首相への要請事項◆

 1.今こそ、沖縄の民意を最優先してください。
 2.名護市辺野古への「移設計画」を断念してください。
 3.普天間基地の無条件返還を実現してください。

◆要請の趣旨◆

沖縄の悲願は、一貫して「基地のない平和な島」の実現です。

 1995年9月、沖縄で起きた米兵によるレイプ事件に対する島ぐるみの怒りに直面して、日米両政府は
96年4月、普天間飛行場の「返還」を合意しました。しかしそれは、沖縄本島東海岸沖に代替基地
(海上施設)を新設することでした(同年12月、SACO最終報告)。
 
任意参照米国には1966年から住宅が接近する普天間に替えて、辺野古V字滑走路・大浦軍港化計画
      があったが、地元の反対や米国の事情などで頓挫していた。→ 下記、任意参照3


◆96年9月の沖縄県民投票では、89%が「基地の整理・縮小」
を求める意思を明確に示しました。◆さらに97年12月の名護市民投票では、過半数が「辺野古への海上
ヘリ基地建設NO!」を表明しました。

 しかし、自民党政権は、沖縄の頭越しに辺野古への基地建設を強行しようと、莫大な経済振興資金を
もって沖縄の人々を懐柔しようとしました。◆それに対し2008年7月、沖縄県議会は「辺野古への新基地
建設に反対する」意見書を採択、日本政府、米政府、沖縄県知事に突きつけました。◆09年8月の衆院選
では、沖縄県の選挙区・比例区で自民党・公明党が全敗し、◆今年1月24日の名護市長選挙では「辺野古・
大浦湾の美しい海に新たな基地は造らせない」と主張した稲嶺進候補が当選しました。

 数々の世論調査でも、沖縄の世論は一貫して「普天間の県外・国外移設」が多数を示してきました。
沖縄の民意が「基地の新設」にも「県内移設」にも絶対反対であることは、今や誰の目にも明らかです。

 私たちは、鳩山政権が「沖縄の民意」を正面から受け止め、実現すべきことを、鳩山首相に対して強く
要請します。辺野古への基地建設を許さない実行委員会

 ●政府・与党の沖縄基地問題検討委員会が機能不全の様相を呈する一方、政府内でキャンプ・シュワブ
陸上案が浮上したというニュースが伝えられるなど、普天間移設をめぐる情勢が急速に煮詰まってき
ました。なお不透明ながら、鳩山政権は「県内移設やむなし」と決意して沖縄の民意無視の方向に舵を
切ったのかもしれません。

 メールでの署名だとすぐ対応できるのだがという声が多くのみなさんから届き始めましたので、これ
までの呼びかけに加え、メール署名もみなさんに呼びかけることにしました。今や、一人でも多くの署名
が必要です。ご理解をいただきたいと思います。

●【メール送信による署名の方法】

 ◆
署名は個人・団体(グループ)を問いません。

  ○ 署名していただける方は、
氏名と住所をお知らせ下さい。
  ○ 団体(グループ)署名の場合は
事務所の所在地ないし連絡先を記して下さい。
   ※ 氏名と住所および団体名とその所在地・連絡先はネットで決して公表いたしません。


 署名の連絡先は次の通りです。
    henoko.no-hutenma.out@mbn.nifty.com
   上記メールアドレスは署名専用です。

 
署名の集約
   
第1次集約は2010年3月10日、第2次集約は同年3月31日です。普天間基地の移設先の決定
について情勢が非常に緊迫していますので、署名はなる
べく早く、できれば第1次集約に間に合うように
送信して下さい。


 寄せられた署名は、手書きの署名とともに、鳩山首相に提出します。

【ご協力のお願い】署名される方にお願いします。このメールをみなさんの友人やお知り合いの方々に
ご転送下さい。またご関係のメーリングリストやそれぞれ
のブログ、ホームページでご紹介下さい。
どうか、よろしくお願いします。


 〔個人情報の保護について〕
 署名者の氏名と住所および署名団体名とその事務所の所在地や連絡先をインターネット上で公表する
ことはありません。ただし署名の件数については、署名簿の
提出後、手書きの署名数と合わせて、
みなさんに報告します。


辺野古への基地建設を許さない実行委員会
問い合わせ先:090-3910-4140(一坪) Tel/Fax 03-5275-5989(市民のひろば)

http://www.jca.apc.org/HHK/NoNewBases/NNBJ.html

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「辺野古への基地建設を許さない実行委員会」
防衛省正門前 毎月の防衛省抗議行動(2010/3/1   18:30~)

  場所  防衛省前
  JR・地下鉄「市ヶ谷」「四ツ谷」駅7分
             http://www.mod.go.jp/j/defense/mod-sdf/mod/index.html
  主催  辺野古への基地建設を許さない実行委員会
  連絡先 沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック(090-3910-4140)、市民のひろば(FAX 03-5275-5989) 

 告! 緊急署名 沖縄の民意に応えてください
辺野古への基地建設断念と普天間基地の無条件返還を求める署名

 
7.18沖縄県議会決議を尊重し、辺野古新基地建設の断念を求める請願署名

最終署名数
: 個人132580筆、団463筆(2009310日現在)


要請行動の記録

 20081008日:防衛省( PDF:396 KB)、環境省( PDF:344 KB
 20080407日:防衛省( PDF:344 KB)、環境省( PDF:312 KB 

 20090527日:防衛省(pdf)、     環境省(pdf)                       
   
20090929日:外務省(pdf
   20090930日:環境省(pdf)、      防衛省(pdf

  いわゆる「普天間移設」問題の報道についての報道関係のみなさんへの要請」201025日)

 普天間飛行場代替施設建設事業に係る環境影響評価方法書の撤回を求める声明20071114日)

          辺野古現地緊急情報ブログ(リンク)
       
    辺野古からの緊急情報 http://henoko.jp/info/

同 携帯版 http://henoko.jp/infom/

基地建設阻止(携帯可) http://henoko.jp/fromhenoko/

「辺野古への基地建設を許さない実行委員会」として今後も取り組みます!2006417日)

(参加団体 2009/12/1

日韓民衆連帯全国ネットワーク/ アジア共同行動日本連絡会議/  戦争に反対する中野共同行動/
命どぅ宝ネットワーク/    明治大学駿台文学会/     新しい反安保行動をつくる実行委員会/
日本山妙法寺/     ジュゴン保護キャンペーンセンター/  北限のジュゴンを見守る会/

許すな!憲法改悪・市民連絡会/   派兵チェック編集委員会/ 
うちなんちゅの怒りとともに!三多摩市民の会
/    基地はいらない!女たちの全国ネット/
安保沖縄共闘委/    労働運動活動者評議会/      反安保労働者講座/

平和憲法を守り、日米安保と軍事基地をなくす会・東京/   基地のない平和な沖縄をめざす会/
東京沖縄県人会青年部/     沖縄文化講座/  日本キリスト教協議会(NCC)平和・核問題委員会/
日本キリスト教協議会(NCC)女性委員会/   NO!レイプNO!ベース女たちの会/

沖縄を考える市民の会/  平和憲法を生かす新宿の会/  沖縄・日本から米軍基地をなくす草の根運動/
女性会議東京都本部/   安保をつぶせ!ちょうちんデモの会/   ピースサイクル東京ネット/
ピースサイクル三多摩ネット/   名護ヘリポート基地に反対する会/

戦争に協力しない!させない!練馬アクション/   本郷文化フォーラムワーカーズスクール(HOWS)/
ピープルズプラン研究所/  アジア平和連合(APA)ジャパン/    東京都学校ユニオン/
ピース・ニュース/      沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック/


(任意参考 1)
                             辺野古の気持ち             

http://peacephilosophy.blogspot.com/2010/01/emotions-of-henoko-yumiko-kikuno.html
Peace Philosophy Center 」(カナダ・バンクーバー)2010/1/20
  <辺野古の気持ち>(菊池由美子さん)より抜粋

「はるかなる琉球王国時代、豊かな自然と海と共にアジア諸国と友好的な交易を結ぶ独立国家だった沖縄。
しかし、1609年3月に薩摩藩の侵攻、そして明治12年(1879年)の琉球処分によって首里城が
明け渡され、琉球王国の歴史は幕を閉じた。その後、皇民化政策により琉球文化も奪われ、太平洋戦争では
日本国内最大規模の地上戦を強いられた。

そして今、日本にある米軍基地の
75%が沖縄に集中している。なぜ琉球の地が、こんなにも悲劇の歴史を
歩まなければならないのか?・・・・・・


2002年、辺野古沖合い2kmに長さ3000mの飛行場建設が決まった。もし、この飛行場ができれば、辺野古の
美しい水平線は全く見えなくなるのだ。


2004
419日に作業が開始されたが、ダンプを通さないように70名が座り込んだ。同年919日には、機動隊
が出動すると連絡が入り、そのときは、
400名が早朝5時ごろから集まり座り込んだ。その状況から、防衛施設局側
は正面突破は無理だと判断し、キャンプシュワブ内を通り、チャーターした辺野古漁民の漁船に機材を積んで作業
現場の沖へ出た。(漁民へは、施設局から高いチャーター代が支払われている。)

今度は海での攻防戦になった。1年に63本のボーリングを打ち込むためのやぐら建設を阻止するために、作業開始
1
時間前にカヌーで現場沖へ行き、ブイ周辺を囲み、潜水調査の阻止活動を約2ヶ月続けたが、4つのやぐらが建て
られた。今度は、体に巻いた鎖をやぐらの上に設置されたモーターにつなげて鍵をかける作戦で阻止活動を展開。
この攻防戦で
50代の女性を初め、やぐらから付き落とされてケガ人も出たほどだった。

そして、200411月頃には、近隣の漁船20隻が応援に駆けつけてくれたこともあり、ボーリング作業もできなく
なってきた。カヌーや漁船で沖へ出る人たちは、朝
4時から夕方5時までやぐらについていた。風が冷たい中、ゴザ
を撒いて冬の寒さをしのぎ、特に女性はトイレが大変なので、水を飲まずに沖での阻止活動に参加するなどしていた。

そして20054月下旬からは、施設局側が夜まで作業し始めたので、阻止活動も24時間体勢になった。少しでも
隙を見せると作業をされてしまうので、
2交代制でやぐらにつくことを約50日間続けた。ここで一番大事なのは非暴力
での阻止活動だったので、作業者がやぐらに到着する前に居座るということを続けなければならなかった。また、この
ような海での阻止活動と平行して、運動を支える県内組織は、防衛施設局へ約
50人体制で何度も出向き、夜の作業は、
作業者と阻止活動者両方にとって危険であることや、夜まで作業をするとジュゴンが餌場に行けなくなるなどを訴え
続けた。

このような粘り強い活動の末、20051029日、沖合いの飛行場建設を断念させるに至った。それまでの座り込み
の延べ人数は
6万人、そのうち海に出た人は1万人にもなった。県内の世論調査でも8割が反対を支持していた。

辺野古をさらに苦しめる日米政府の新しい合意案

20051029日、辺野古沖合いの基地建設断念と同時に、日米政府は辺野古沿岸に1800mの滑走路1本を作る
ことを決めたが、これは住宅地から700mしか離れておらず近すぎるとして、沖合い基地賛成だった名護市長や県知事
も反対した。

ところが
20064月、当時、額賀防衛庁長官が島袋名護市長を呼びつけ、「着陸と離陸専用に別れたV字型滑走路だと、
集落の真上を飛ばないから安全だ。」として
V字型滑走路にGOサインを出させた。しかし、当山さんの説明によると、
軍事飛行訓練は、「タッチアンドゴー」という一本の滑走路で、着陸したらすぐに飛び立つという訓練が主流であり、
普天間基地でもその訓練がされている。なので、
V字型滑走路でわざわざ離陸と着陸とに分けたややこしい訓練は行わ
ない、と米国資料にも説明されていた。いつでもどんな風向きでも飛行訓練が出来るのが
V字型滑走路の利点なのだ。

この点を野党が国会で追及すると、「訓練によっては、両方の滑走路から飛び立つこともある。」と最初の主張が崩れて
きた。当山さん達はこの国会での答弁を名護市に伝えて、
GOサインの撤回を要請したが聞き入れてもらえなかった。

そして20074月から施設局が事前環境調査を行うことになったが、これは環境アセス法違反であると反対派は訴えた。
本来、大規模工事が行われるときは、環境アセスメントが行われて工事完成日などが決められていくのだが、辺野古の
V字型滑走路建設については、完成が2014年と決定されていての事前調査なので、アセス法に沿っていないのである。

この事前調査では、、ジュゴンの鳴き声をキャッチする受動的音波探知機
30個の設置。夜間でも撮影できる水中ビデオ
カメラ
14個。サンゴの卵の付着状況を調べる機械。海流を調べる機材などすべて合わせて120個を設置するものであった。

この作業が開始される2007518日、反対抗議活動を阻止するために日本政府は、なんと海上自衛隊の掃海母艦
「ぶんご」を沖縄へ出動させたのだった。住民の抗議運動に自衛隊を投入させることは異常であり前例がない。当日の
午前
5時の辺野古沖は、まるで沖縄戦のときに米軍艦隊が取り巻いていたように、海上保安庁の巡視艇4隻、
作業船
30隻にゴムボート15~6隻が黒々と停泊していた。そして命がけの阻止活動も報われず、ほとんどの機材が
設置されてしまった。

当時の久間防衛庁長官が、「
2005年の辺野古沖飛行場建設断念のときのような悔しい思いをしたくない。」と発言し、
作業船を増やしたり、海上保安庁を
30名から100名に引き上げてボディーガードに使った。その結果、海上保安庁から
2,3時間足止めされたり、カヌー隊のダイバー1人が機材の下に潜り込んでの阻止活動に対して、すぐに2,3人の
施設局側の作業員が対抗するなど、阻止活動が機能しない状況になった。

完全に阻止ができなくても、調査を虫食い状態にして、20101月の名護市長選や11月の県知事選まで引き伸ばす
効果はあると、今も座り込みとカヌー隊の阻止活動は続いている。「防衛施設局の調査が終わると、次は埋め立て申請
をしなければならない。その許可の権限は知事にあるので、11月の知事選に基地建設反対の知事を登場させれば
基地建設も阻止できるという展望も見込みながら活動を続けていきます。」と当山さんは語った。


 また、環境問題での補足として耳を疑うような事実を当山さんから説明された。 160ヘクタールの海を埋め立てる
のに必要な土砂は2100万リューベ。(10トン車210万台分)そのために、沖縄東海岸の海砂のほとんどを持ってくる
ことになり、さらに辺野古ダム周辺30ヘクタールの木々を伐採して、200万リューベの土や石を掘り起こす。これに
よってジュゴンが食べる海藻は無くなりジュゴンは死滅、辺野古ダムの水も使えなくなる。防衛局側によると、土砂を
搾取する場所を辺野古ダム周辺に決めたのは、「早く確実に取れる場所だから」という説明だった。当山さん曰く、
「安全保障のための基地建設といいながら、人の飲み水まで台無しにすることは、本末転倒で乱暴な計画を進めて
いるということなのです
  。
・・・・・・・・・・・」
http://peacephilosophy.blogspot.com/2010/01/emotions-of-henoko-yumiko-kikuno.html
(きれいな海や闘争の様子がわかる写真が豊富)


(任意参考 2)   沖縄少女暴行事件 黒船来港時からつづく沖縄米下によるレイプ被害
http://www.news.janjan.jp/column/0802/0802170941/1.php
・JANJAN 日嘉康文2008/2/18

「……………読谷村議会(前田善輝議長)は、15日の臨時議会で可決された抗議書と意見書のなかに
「非道な犯罪を起こした米軍基地の撤去を行うこと」を明記している。事件が起こった沖縄市や北谷町の婦人会の
 代表者は「再発防止には基地撤去しかない」と、ケビン・メア総領事に強く抗議している。…………..

 沖縄で最初に起こった米軍の婦女子暴行事件は、日本の開国に貢献したペリー提督が率いる艦隊の兵士が
起こしたものである。那覇の港町・泊で婦人に暴行したもので、その犯人は住民に取り押さえられて、みんなが
殴り殺している…………..

 敗戦後、数々の婦女子への暴行事件が発生しているが、沖縄県民の記憶に焼きついているのが、
1955(昭和30)年9月3日、石川市に住む6歳の少女が嘉手納基地所属の39歳になる軍曹に暴行され、殺害
されて遺体が嘉手納海岸に捨てられていた事件である。米軍占領下だったが、各地で子供を守る大会が開かれ、
米軍当局に激しく抗議した事件である………………

県民大会が開かれ、8万人余が抗議したのは1995年9月4日、北部で発生した米兵3人による小学生女児に
対する暴行事件だった。3人は車で女児を拉致して暴行した。地位協定の壁があり、沖縄県警への犯人の引渡し
は検察庁の起訴後という状態。またアメリカ太平洋軍のマッキー司令官が国防総省で「犯行に使用した車を借りる
金があれば、女を買えたのに。3人はバカだ」と発言。……………………….

米軍占領下では想像を絶する婦女暴行事件が起こっている。沖縄女性のメイドがその家の主人から暴行され、
それを知った米人妻がメイドに庭に穴を掘らせたあと、銃で撃ち殺して埋めた事件が発生したが、その夫婦は逮捕
もされなかった。…………………….

婦女暴行を働いたあと、虫けらのように殺害する事件がほとんどである。刑法が改正されるまでは、親告罪で
なかなか警察に訴えるケースがすくなかった。その実数は公表された事件の数倍…………….
(後略)


(任意参考3)

               辺野古海上・大浦計画は1966年から 

 http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/index1.html No More US Bases in Okinawa 」より

辺野古海上計画は1966年から」 http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/sub3.html  (証拠となる図や写真が豊富)

「宮城悦二郎先生が、沖縄県立公文書館から探し出した1970年1月に、米政府機関が作成した「(米軍基地の)
沖縄内移設の可能性」と翻訳される10ページほどの文書(★2)がある。

この文書には、(ベトナム戦争の最中であった1965年に、米軍は、「沖縄島にもう一つの飛行場を計画して調査
を行った。沖縄島の中南部は人家が密集していて適地はない。北部は地形がきびしいので適地としては本部半島
にある日本軍が作った飛行場を拡張するか、久志湾を埋めるしかない」と記されている。

久志湾こそサンゴ礁に囲まれた辺野古の海のことである。 

その調査をもとに米海兵隊は、辺野古のリーフを埋めて3000mの滑走路がある飛行場を計画し、1966年1月
付けの報告書にまとめた。(★3)

滑走路は2本を計画していた。米海軍は海兵隊の飛行場計画に隣接して大浦湾に軍港を作る計画を同じ年の
12月(★4)に作成している。

1998年(平成10年)5月27日の衆議院安全保障委員会で上原康助議員が、米国の会計検査院報告
(★5=右図)と国防総省97年運用構想(★6)を示して日本政府の関与を質している。回答は、


――小渕国務大臣:政府といたしましては、米国政府から御指摘のような文書を提示されたことはなくしたがいまして、
その内容についても承知をいたしておりません。――

米軍の運用構想を知らなければ、日本政府は設計も工事もできない筈なのに、「内容について承知をしておりま
せん。」とは・・・・偽証ではないか?


(1998年から、9年の時を経過して、2007年4月11日・民主党原口一博氏が再質問している)
(←クリック)

国防総省の97年運用構想には、「1966年の調査に基づき、提案されている滑走路の方向は7/25とすべきである
(新たな調査が要求される)。」と記されている。66年の海兵隊の飛行場計画図とぴったり一致している。

この方位の踏襲から、辺野古に飛行場を作ることを米軍は66年以来、97年まで30年余も新設構想をあたため
続けていたことが分かる。

そして、2006年5月1日、軍港もセットにして滑走路2本の軍事空港に合意した。


 「辺野古海上計画は1966年から」 http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/sub3.html


~~~~~~~~~~~~~~
Thankful to all the websites above.


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