2009年「アジア太平洋のミサイル防衛に反対し軍拡競争の終わりを求める、ソウル国際会議発表論文

                                          → English(original) 
            
            
    フィリッピンにおける米国の「基地無き基地化
     
         US Basing without bases in the Philippines
                                   
                                               by
Corazon Valdez Fabros

*コラゾン・ファブロスは、「ストップ・ザ・ウォー・コーリション・フィリッピン」の共同創設者で、「外国軍基地廃止のための国際ネットワーク組織化委員会」のメンバー
(*会議主催者への挨拶部分は省略しています。訳は「だ・である」体にしています。)

 序章

まず、1900年に米国のJ.ベヴァリッジ上院議員が連邦議会で行った証言の引用を読むことで初めさせください。

 「フィリッピンは我々米国に東洋全体への入り口となる地点に基地を与える。米国の各地の港から東洋とオーストラリアへの航路は、フィリッピンで合流しそこから分かれる。フィリッピン群島は太平洋を見渡す<摂理>という戦略により選択された一地点に永遠に錨を降ろした、それ自体で自立し、他に恩恵を与える艦隊である。そして太平洋はこれからの商業の海である。今後の戦争の大半は商業を求める紛争となるだろう。それゆえ太平洋の覇者は世界の覇者である。そしてフィリッピンを持つゆえ、その覇者は現在も将来もアメリカである。」
 (「我々のフィリッピン政策」(Our Philippine Policy ) 連邦議会議事録 合衆国上院1990年1月9日)

この証言は1世紀以上も前のものだった。1992年に国内の米軍の大型基地と施設を閉鎖したとき、フィリッピンはベヴァリッジ上院議員が描写した「永遠に錨を降ろした」艦隊であることをやめた。スービック海軍基地とクラーク空軍基地は、かつてアメリカの評論家たちにより、世界で最も重要な基地施設であると書かれた。1899年に始まったフィリッピンの植民地化以来、米国は中国と旧ソ連のシベリア地方に介入するため、フィリッピンに置いた幾つかの基地を使用していた。冷戦の間じゅう、それらの基地は、米国の戦力をアジアに投入するためのかなめであり、朝鮮半島やベトナムにおける米国の戦争のため、そしてインドネシアやタイに介入するための踏み切り板として使われた。フィリッピン国内ではこれらの基地は、共産党や分離独立派反乱軍に対する作戦において使用された。

  C:\Users\Sato\Pictures\220px-NASCubiPt.jpg C:\Users\Sato\Pictures\220px-NS_Subic_Bay_pier_area.jpg
  
http://en.wikipedia.org/wiki/U.S._Naval_Base_Subic_Bay

   C:\Users\Sato\Pictures\220px-US_Flag_lowered_and_Philippine_flag_raised_during_turnover_of_NS_Subic_Bay.jpg 
(上記ウィキ)スービック海軍基地返還に伴い、米国旗が降ろされフィリッピン国旗が掲揚された)


フィリッピン領土からの歴史的な米軍撤退から約17年立った現在、米国はフィリッピンでのその軍事的なプレゼンスを再び確立している。米軍はその「テロとのグローバルな戦い」の一部として戻ってきた。もやは巨大な軍事インフラの形ではなく、より性能の高い、柔軟な軍事力を持って。フィリッピンはアジア太平洋の他の諸地域における、米軍の今後の展望のための研究室になってしまった。


 ―訪問軍協定を通じた基地無き基地化―

1998年フィリッピンは米国と訪問軍協定を結び、長く続いていた密約を公式なものとした。その協定を拒否しようとする市民の強い反対運動にもかかわらず、フィリッピン上院は協定を批准した。その協定がフィリッピン・米国関係の新たな章を招き入れ、一度に6,000人もの米軍が参加する軍事訓練と演習のため、米軍が定期的に訪れるようになった。2001年の9/11攻撃のあと、フィリッピン政府は米国に、領空での飛行、空港と港の使用、フィリッピンのシーレーンでの航行を許可した。さらに2002年11月に締結された、相互後方支援協定(MLSA:Mutual Logistics Support Agreement)により、米国はフィリッピンにおいて兵器の備蓄と事前配備、構造物の建築を許可され、さらに訪問期間中に米国が求めるあらゆる分野にわたる後方支援と作戦上の役務の提供を得られることになった。

フィリッピン-米国訪問軍協定(VFA:The RP-US Visiting Forces Agreement)は、両国間に基地条約が何一つ存在しないにもかかわらず、フィリッピンの主権を侵害し、フィリッピン領土における米軍の長期の(恒久的でさえある)プレゼンスと戦闘への関与を正当化する。

VFAはこんにち実施されているとおり、フィリッピンから外国軍基地を取り除こうとする闘いにおける、多くの勝利を実際に逆戻りさせる。

VFAは次のように、米国に好都合な、一方的な条項を持つ。

 
1.入国する訪問軍兵士の数を特定せず、また制限もしない。
   その数は10人から1,000人、それ以上になることがある。


 2.
「訪問」軍がアクセスできるフィリッピン国内の地域を特定せず制限しない。訪問協定
   が幅広いものであるため、米軍はフィリッピン軍の基地、民間施設、さらには、Sulu
   やBasilan のように、実際に戦闘がある地域にすら入る。

 3.「訪問」軍の滞在期間を特定せず制限しない。滞在は非常に広範で不明瞭である
   ため、たとえローテーションであろうとも、フィリッピンでの米軍の継続的なプレゼンス
   を許す。


 4.「訪問」軍により行われている諸活動を特定せず制限しない。米軍による直接的な
   戦闘関与を明確に禁止せず、また1年間に行われる合同訓練を含み、米軍の活動の
   数も制限しない。


 5.「訪問」軍の扱いについては、あまりに広範で不明瞭であるためそれは、米国が
   部隊を無制限に無期限に、フィリッピンのいたるところに、「訓練」に限定されない
   多種多様な活動のために派遣できることを意味しうる。


2002年に始まって以来今日までずっと、100名〜450名ほどから成る米国の一部隊がローテーションで、南ミンダナオに無期限に拠点を置いている。2006年に、また別の協定が結ばれて「安全保障関与委員会(SEF: Security Engagement Board)が設立され、フィリッピン国内での米軍の役割の範囲を拡大した。その後2007年に、VFAにより米軍に与えられているのと同様な法的特権を与える、「訪問軍地位協定(SOVFA:Status Visiting Forces Agreement)」が、米国の同盟国オーストラリアと締結され、オーストラリアもここ数年、フィリッピンでのいくつかの軍事作戦に関与し始めた。

2002~2006年の間、米国はフィリッピン政府に軍事援助の形で、平均5,400万ドルを提供していたが、これは幾つかの基地閉鎖(*1992)のあと、VFAの調印(1998)までの間の、年平均160万ドルのそれからの増額であった。

こんにちフィリッピンには、ドイツのRamstein空軍基地や、沖縄の嘉手納基地、韓国のキャンプ・ハンフリーのような、様々な作戦のかなめとして働く大規模作戦基地(Main Operating Base)はない。代わって今あるのは、普通少数のローテンション部隊を伴い、必要に応じて拡大したり縮小したり、たとえば兵器や備品の事前配置などのための、より小規模で、より人員の少ない、前方展開作拠点(Forward Operating Site )である。今フィリッピンにあるのは、フィリッピンにより所有されている、協力的安全保障地点(CSL:Cooperative Secrurity Locations)か、フィリッピン軍と民間契約業者により経営されている民間施設とインフラである。

(* CSL:Cooperative Secrurity Locations 協力的安全保障地点(別名リリパッド):下記「任意参照」)

恒久的軍事プレゼンス

Zamboangを拠点とする「合同特別作戦特殊部隊フィリッピン(Joint Special Operation Task Force-Philippines)」が前方展開拠点(FOS)の描写に当てはまる。Camp Navarro内のJSOTF-フィリッピンの本部は、少数の恒久的駐留を行い、任務の維持を支援する、FOSとして機能している。この施設はローテーションの部隊と事前配備された兵器を収容することができる。FOSはしばしば、二国間および地域的軍事訓練といろいろな活動に関連づけられている。

JSOTF-フィリッピンは、「壁と蛇腹条鉄条網とサンドバッグにより目隠しされた施設を占拠している。そのエリアの実際の大きさは外部からは直接見えないこともあり得る。通信施設(衛星受信装置、アンテナ、その他の機器)は外部から見ることができる。」 米国はその防衛態勢見直しに基づき、MOB(大規模基地)を建設する意図はない。その狙いは、より柔軟で、維持経費が安く済む、囲われていて目につかない、それゆえ論争や抗議を受けることが少ない、そのような協同のための安全保障上の地点とFOSをできるだけ沢山持つことである。

ミンダナオ経済開発協力を通して現在建設されている建物は、2002年以ずっと「恒久的に占有」されている。たとえローテーションが原則であろうと、米軍の存在は恒久的なものになっており、この6年以上にわたって、1年365日、米軍により「恒久的に占有」され続けている。

米ーフィリッピン相互後方支援協定(MLSA)もまた、JSOTF-フィリッピンのZamboanga本部を可能にしているが、これは訪問米軍への後方支援を提供することにより、VFAを補足する包括取り決めである。MLSAは2005年に五年間の大統領権限による合意として調印されたが、2007年11月に更新された。ミンダナオに長居を続ける米軍部隊が「恒久的に占有」するための法的枠組みを与える目的で、期間を延長するのだ。

 

戦闘への参加

(訪問)米軍が戦闘を含む作戦に関与することは、合意事項に記されているだけでなく、蓋然性としても高い。米国政府の研究機関のひとつである「(仮称)平和のための米国研究所(The United States Institute for Peace)は、2008年2月のその報告書の中で、ミンダナオに配置されている米軍の任務を述べている。ミンダナオへの米軍の派遣は人道的任務や市民活動(*への支援)のためではなく、いくつかの特定の軍事目的のためであった。

9/11攻撃のあと、米国はミンダナオが国際テロ組織の軍事訓練と避難のための場所になりうるかもしれないという懸念を特につのらせていった。この懸念により米国はフィリッピン政権とフィリッピン軍への軍事支援を拡大するに至った。米軍の軍事資産が、インドネシア・ジェマー・イスラミヤ(JI:Indonesian Jemaah Islamiyah )
や、地域のアブ・サヤ・グループ(ASG:Abu Sayya Group)を含む国際テロリスト集団と指名された組織を追跡する活動を支援するため、フィリッピン南部に配置された米軍の役割は、フィリッピン軍を「訓練」することに限定されてはおらず、また戦術的作戦と任務に直接関与することも含まれている。


The United States Institutes for Peaceの報告はさらにまた、米国の幾つかのターゲットの中にはいわゆるMILFの指揮離脱集団が含まれていると記されていたが、なぜならそれはテロリズムに関係していたからだ。JSOTF-フィリッピン配下の米国の特殊部隊は、拡大した対テロ作戦を確立し、AFP(フィリッピン国軍)に情報・訓練、兵器類を提供した。その目的は、フィリッピン軍が、テロリストグループと戦うための自らの能力を改善し、近代化し、向上させるのを支援することであった。

ミンダナオにおける米国の政策手段には、米国の経済・軍事的支援計画の条件、および対テロ前線における、今よりさらに過酷な懲罰措置を含む。

戦闘の役割としての情報収集

フィリッピン軍は最近、米軍が情報収集活動に従事していることを認めたが、それは特に、たとえばアブ・ソヤや、いわゆる「ならずもの」と呼ばれるMILF(*モロ・イスラム解放戦線)の部隊といったような、軍事的攻撃対象に対して向けられている。米軍によるそのような情報収集活動は、実際の戦闘作戦の一部であり、かつそれにとって必要不可欠である。「米軍は、MIFLに対抗するフィリッピン軍に情報と支援を与える、交戦中の軍事力の一部である。」 米軍は実際の偵察・情報収集活動を、地元の民衆に対して行っている。民衆に対するスパイ活動の権限が容易に乱用されうるは、特に、「リリッパッド(上記CSLの別名)」などについての現在の二カ国合意が、交戦の限定要因について何も規定していないことが原因である。

米軍が無人飛行機(UAV)
を使用していることは、ミンダナオにおいて様々に報告されている。米軍は各種の無人偵察機の航空艦隊を持っており、手のひらサイズのリモコン機から、長時間飛行の偵察撮影や、ネットワーク監視任務、さらに攻撃機として設計された、高性能、高々度、遠隔リモコンによる無人機に至るまで、多種多様である。

「人道支援活動」

「人道支援活動」と「市民活動」という言葉は、偵察飛行機の運用や、反乱勢力に待ち伏せされたフィリッピン軍輸送車両の一部に参加するなど、VFAの規定外の事件に米軍が現れるときにはいつも、その対応のためフィリッピン軍と米国大使館の両方により用いられる標準的表現となった。

「人道支援」というものはすべて、アネックスAや、戦略コミュニケーション、USPACOM(米国太平洋軍)の太平洋合同訓練戦略といった米国の文書に含まれているように、米国により用いられる「コミュニケーション戦略」の一部である。

それらの人道支援は、「選出された公職者たち、オピニオン・リーダー、そして一般大衆に、軍事訓練の重要性に関して教育し、訓練活動への大衆の信頼と支援を築き、即応性とそのような訓練による備えがないことがもたらしうる影響の
経費を描き出し、そして軍隊を環境にとっての良い管理人として協調することを意図されている。」


そういう文書はさらに、
「学校活動(読書週間、就職相談会
など)への軍隊の参加は、<グラスルーツ>レベルで、非常に有効な、地域社会とのつながりのための道具である」
と述べる。合同訓練戦略は、米国の政治的かつ軍事的諸利益を確保するという方針に沿う、明確な戦略的軍事目的を持つのである。








(arbitrary reference 任意参照

http://www.odamakoto.com/jp/letter/03.html
   「市民のみなさん方へ」小田実

「恒久民族民衆法廷」フィリッピンにかかわる第二回法廷 
 [判決文]
→English 

5. アメリカ合州国の役割

米軍基地は1992年に移転したが、1999年の訪問米軍地位協定(VFA: Visiting Forces Agreement)と2002年の相互補給支援協定(MLSA: Mutual Logistics Support Agreement)にもとづいて、米軍部隊はフィリピンに戻ってきた。いわゆる「対テロ戦争」をよそおって、米軍部隊が駐屯・配備しており、これはフィリピン南部のミンダナオ島に限らない。2001年以来ずっと、フィリピン国内には何千人もの米兵が継続して駐留し、表向きはテロに対抗するという「訓練と演習」をおこなっている。しかし多くの場合、実際には、フィリピン国軍と戦闘作戦で協力している。このようなことは、国家主権とフィリピンの領土保全を甚だしく侵害している。

 フィリピンはその戦略的位置のため、米国軍隊がもくろむ東アジアや遠く離れた中東まで及ぶ計画にとって死活的重要性をもっている。すでにアフガニスタンとイラクの人びとにたいする侵略戦争で、フィリピンの港湾と軍用飛行場は、米国が通過地点および燃料補給場所として使用している。このような理由から、米国はフィリピン国家とその軍隊にたいする支配の維持と、米国のプレゼンスに反対しているすべての進歩的勢力の打破を求めている。

米国はペンタゴンと中央情報局を通じて、概念化能力〔スパイ養成のためのプログラムで、様ざまな情報からパターンを見つけ出す思考プロセスを指す〕、計画立案、フィリピン国軍兵士の訓練、計画実施に関与している。この共同作業はいま、きわめて問題の多い2006年の安全保障関与委員会協定(Security Engagement Board Agreement)にもとづいて実施されている。

 この協定によって設置された安全保障関与委員会は合同委員会で、フィリピンと米国の双方から、防衛と軍事に関わる役人が参加して構成されている。この委員会の目的は、フィリピン国内での反テロ・キャンペーンの監督にある。これは、2001911日にニューヨークで起きた自爆攻撃の直後の同年に、フィリピン南部の反アブ・サヤフのキャンペーンとして始まった。キャンペーンを始めたのは米国であり反アブ・サヤフの反テロ・キャンペーンとして、国軍(AFP)と共同して実施した。キャンペーンのなかで、米国の特殊部隊と国軍はミンダナオ島で、アブ・サヤフへの支持が疑われる人、その家族、あるいは無実の人でさえ誘拐した。その後はじめて、全国的な反ゲリラ活動のキャンペーンのなかで、これがフィリピン全体を網羅するようになった。反アブ・サヤフのキャンペーンの場合と同じように、全国的なキャンペーンも法的資格を持つ代弁者と政府との武装対決に巻き込まれた人を区別しなかった。このキャンペーンを実行しているのは国軍であるが、戦闘中、国軍に指示し支援しているのは米国の特殊作戦部隊(SOF: Special Operations Forces)である。

対ゲリラ活動作戦の万策尽きた米国=アロヨ体制にとって、バンタイ・ラヤは長年にわたる対立の「最終的解決」と思われる。バンタイ・ラヤでは、とりわけ、議会の政党名簿に載っている代議員および選挙区に対する残忍で懲罰的な扱いと、指導者や一般メンバーの暗殺による団体や組織の「中立化」に力点が置かれており、これはバンタイ・ラヤの新しく重要な要素である。バンタイ・ラヤが重点をおいているのは政治的要素と白色地域作戦であり、「フィリピン・デイリー・インクワイアラー」紙のベテラン記者でコラムニストのアルマンド・ドロニラは、これについて次のように述べている。

「オプラン・バンタイ・ラヤの「戦闘序列」に概略が述べられている戦争の青写真は、共産主義運動の非軍事的部分を殺害するというものである。オプラン・バンタイ・ラヤのもくろみは、交戦における新人民軍との武装衝突ではない無防備の非戦闘員の殺害と虐殺をもくろんでいる。したがって、オプラン・バンタイ・ラヤは悪意に満ちた民間人殺害計画である。この戦略で軍と警察がこうむる危険と損害は、彼らが共産主義ゲリラとの武装戦闘で直面するそれよりもずっと少ない。

 過去5年間の被害者の大部分は非戦闘員と無防備な左翼メンバーだったが、それはなぜか。この戦略が
前線/合法的組織の「中立化」に力点を置いている
という説明が役に立つ。この間に殺された合法的左翼メンバーの人数は、治安部隊と衝突した武装新人民軍兵士の死亡数をはるかに凌駕する。
 この戦略が非難されるのは、非戦闘員を組織的に虐殺するからだ。これが人権侵害と残虐行為をもたらす可能性もきわめて大きい。現体制の対ゲリラ活動の方法は、前任者たち――そこにはマルコス独裁体制も含まれる――の政権と比べて、はるかに冷酷に見える。この戦略は無防備な人びとの虐殺に道を開いている」

私たちは恒久民族民衆法廷として、そしてもっと広い人類家族の一員として、フィリピンにおける人権侵害状況の劇的悪化は、その地で人権のために闘っている人びとにとってのみならず、私たちすべての責任であることを認める。いわゆる「対テロ戦争」を口実に、「市場指向・利潤指向のグローバリゼーション」を隠れ蓑に、社会周辺の人びとから正義と尊厳のある平和的暮らしを奪っているこれらの権力を打破するため、私たちは一層努力することを確約する。この確約には、本法廷の事実調査に勇気ある貢献をしてくれた証人たちの安全を、十分に注意することが含まれる。彼らの身に何か起こるなら、私たちはそれをフィリピン政府の責任と考える。

米国の軍事占領に対する市民の継続した抵抗

フィリッピンでは長い反基地闘争の歴史があり、平和と主権のための大衆運動は最近、訪問軍協定と、それに関連する他のすべての法律の即時廃止を要求した。

最近のことだが、(この国における50年間の米軍駐留の間にさえなかった、初めての法廷闘争となった)「ニコル」事件への最高裁の判決のあと、特に幾つかの運動が開始された、というのはその事件が、米兵が フィリッピンの地元の人間を暴行したときにはいつもフィリッピンの裁判システムの管轄を逃れる米軍への特別待遇が、今なお継続されていることを暴露したからである。

「(仮称)VFAをゴミにしろ運動(The Junk VFA Movment)」と「(仮称)VFAをつぶせ!運動(The Scrap VFA!)」は、真の主権を求めて団結した、連合体や組織体、個人の幅広いネットワークである。自分をレイプした米兵ダニエル・スミスに対して告訴した「ニコル」を、正義を求める彼女の闘争の間じゅう支援した「(仮称)スービック・レイプ対策チーム(タスク・フォース・スービック・レイプ」やそれを支える女性・男性たちが何か特別であるというのではない。ニコル事件は訪問軍協定が存在する限り、フィリッピンにおいて、あるいは他のどこにおいても、女性達はひとりも、今後の暴行と暴力から安全ではいならない、ということを私たちに確信させたのだ。

ノーベース!ネットワーク

2007年3月に正式にエクアドルで発足した、「(仮称)外国軍基地撤廃のための国際ネットワーク」は、米国とヨーロッパの基地を優先的に、グローバルな軍事インフラを焦点とする運動を追求する。このネットワークの会員は、平和・正義・核廃絶を求める、より広範な地球的規模の運動の一部である。同ネットワークは、数百の外国軍基地および情報施設のグローバルな拡大にチャレンジする、各地に広く根付いた運動グループのネットワークへと着実に発展しつつある。

最近のイニシアチブや活動を見直してみると、我々の闘争をグローバルに組織化することが、その有効さを高めたという事実が示された。たとえば、地域での運動の主体者たちは、世界中の多くの人々がよく似た障がい物に向き合いながら、同じようなゴールのため闘うという事実に、倫理的な支持を見い出す。彼らは互いの経験から学びあう。さらに特定の基地やその機能、その法的地位についての情報の共有が、グルーバルな軍事基地のネットワーク全体に対する我々の理解を向上させた。

同ネットワークは以下を通じて働く: コミュニケーション戦略調査研究/分析(地球的規模の観察)。 基地関連問題に取り組んでいる米国と他の大陸における研究者や評論家への連絡役。 新たなグループや新しく加盟した仲間への連絡役。
地域的な調整役。 調査と観察。 戦略的な同盟の構築。 ロビー活動と運動の提唱。 公的なグローバル活動とローカルな闘争への支援。 特に軍事基地を初めて「提供」されている諸国において、政治的闘争を勝ち取るため重要であるかもしれない、迅速な対応。

近年は、アジアと太平洋においてだけでなく世界においても、経済が不安定の沼にはまって時である。現在はまた、大きな機会と希望のときでもある。我々は平和と外国軍基地の撤廃を求めながら、それを成就するための我々の努力の臨界値を築き続けねばならない。より大きな活力と献身により、組織化のための我々の仕事を刷新しよう。

今日ここに、かの帝国の政策が人々の生活や環境に悪い影響を与えている、まさにその場所(*韓国)において、我々が意義ある集会を開催していることが、平和な世界を求める我々のたゆまぬ闘いを、強く明確に見える形で表現しているのだ。(終)


.....................................................
(任意参照)
1.クラーク空軍基地閉鎖

http://en.wikipedia.org/wiki/U.S._Naval_Base_Subic_Bay
1991年6月15日、スービック湾のわずか20マイル(32km)のところにあるピナツボ火山が、セント・ヘレナ火山の噴火の8倍の威力で噴火。 ピナツボ火山のずっと近いクラーク空軍基地は壊滅的打撃をうけ、完全閉鎖計画が開始された。
 C:\Users\Sato\Pictures\220px-Ash_from_Mount_Pinatubo_covers_NS_Subic_Bay.jpg

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2.Cooperative Security Location (リリパッド)

 協力的安全保障地点(CSL)は、対テロ活動と、麻薬密輸阻止における地域的訓練のために使用される諸施設を表す米軍用語である。CSLはそこに米軍兵士の恒久的駐留がほとんど、あるいは全くないような、受け入れ国の施設であり、事前配備された兵器、あるいはかつ、後方支援の諸手配を含むこともあり得、安全保障上の協力活動や有事のアクセスとして機能する。これらの地点は、国防総省が2004年のグローバルな防衛態勢の見直しのあと、主にアフリカと南米における局地的な脅威に取り組み始めたときに、確立された。それらの地点はときには、「リリパッド」と呼ばれる。2004年に、米国は南米地域に4つのCSLを考慮し始めた。

<南米のCSL:リリパッド>
  Manta Air Base (エクアドル)
   Aruba
  Curacao
  Comalapa (エルサルバドル)

<アフリカのCSL:リリパッド>
これらの地点は、アフリカが米国ヨーロッパ軍により統括されていたときに創設された。2007年に米国アフリカ軍が新たに出現すると、これらのアフリカのCSL地点はその新しい司令に移された。 下記のものが含まれるがこれだけに限定されない。

  ダカール(セネガル)
  エンテベ(ウガンダ)
   Libreville (ガボン)
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マンタのCSL
   http://www10.plala.or.jp/shosuzki/edit/bolivia/manta.htm 
   「FARC襲撃事件とマンタ基地の役割」 Manta Air Base Tied to Colombian Raid on FARC Camp

   (抜粋)
  軍事・外交関係者は、Manta空軍基地と今月のコロンビア軍によるFARC基地の爆破・急襲事件とのに、つながりがあると見ています。マンタはエクアドルの北部海岸沿いにある港町です。マンタ基地は米軍の使用する基地です。アメリカ空軍は1999年にベースを使う特権を与えられました。期間は10年とされています。それはこの地域における麻薬活動に対抗するために用いられています。エクアドル軍の高レベルの将校が、匿名を条件にIPS通信に語りました。「エクアドルの上級将校の多数は、米国がこの事件の共犯者であると確信している」……………コロンビア政府がOAS調査団に提出した公式報告によれば、襲撃にはブラジル製のスーパー・タカノ機5機と米国製A-37飛行機3機が参加し、10発の“通常”爆弾が投下されたとされています。レポートによれば、A-37はGPSで誘導される爆弾を用い、スーパー・タカノ機は5メートルの誤差範囲で爆弾を投下する機能を備えているといわれます。しかしこの点に関しては、すでにサンドバル国防相が重大な反論を行っています。「ラテンアメリカの軍隊にはない機材が、3月1日の爆破において使われた。彼らは5発のスマート爆弾(誘導爆弾)を投下した」スマート爆弾といえば、1991年の湾岸戦争で米国が使用したものです。「その精度は驚くべきものだ。誤差範囲は夜間でも1メートル以内だ。夜間に高速で飛ぶ飛行機からそのような爆弾が発射されるなら、その威力は凄まじい」軍事関係者はこう補足します。
「誘導爆弾での攻撃は誰にでも出来るものではない。その種の作戦に参加した経験を持つパイロットが必要だ。ということは米軍パイロットということだ。コロンビア軍兵士がヘリに乗ってキャンプを襲撃したあと、“我々は到達した。そして死体を発見した”と報告しているが、そのような状況は、スマート爆弾を想定するとつじつまが合う」
………………. 「このエクアドル領空内での爆撃は、実際は米軍パイロットによって行われた。ひょっとするとDynCorpに雇われていた可能性もある」DynCorpは米国に本社を置く私兵集団会社で、コロンビア計画に伴い契約を結んでいる会社である。「飛行機はカケタ州南部のTres Esquinas空軍基地から飛び立った。この飛行機は普段はコカ畑に除草剤を散布したり、ゲリラを攻撃するのに用いられている。パイロットは現役の米軍人のこともあるし、DynCorpのような会社と契約した元軍人であることもある


 Aruba アルバ  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90
   アルバ(オランダ語:Aruba)は、西インド諸島の南端部、南米ベネズエラの北西沖に浮かぶオランダ領の島。高度な自治が認められた自治地域(州に相当)と呼ばれるが、事実上の同国の植民地である

 ・エンテベのCSL http://www.ugandamission.net/travel/air/ebb/csl.html (英語)



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
3. 前方展開拠点 http://en.wikipedia.org/wiki/Forward_Operating_Base

前方展開拠点(FOB)は戦術的作戦を支援するために使用される、あらゆる前方確保拠点である。FOBには空港、病院、その他の施設が含まれることも、そうでないこともある。この基地は長期間使用されることもある。FOBは従来は、FOBに後方支援を提供するために必要な、大型のハブ基地(MOB)により支援されていた。FOBはまた、そこから作戦行動する諸部隊にとって、即応のための時間を減らし任務時間を増やすものでもある。

 
アフガニスタン,LogarのFOB
http://en.wikipedia.org/ wiki/Forward_Operating_Base


 
イラク、TikritのFOB

http://en.wikipedia.org/ wiki/Forward_Operating_Base


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

4.http://www.odamakoto.com/jp/letter/03.html
   「市民のみなさん方へ」小田実

「恒久民族民衆法廷」フィリッピンにかかわる第二回法廷 
 [判決文] 
    

(抜粋)6. 超法規的殺人、拷問、拉致 http://www.odamakoto.com/jp/letter/03-08.html

 二つが組み合わされる場合も多いが、超法規的殺害、拷問、拉致の量の多さは印象的である。生存者、目撃者、専門家の口述証言が法廷に文書化して提出された。彼らは審判員の質問に答える機会も与えられ、質問に詳細に答えた。それぞれの事例(付属文書2にリストがある)に加え、審判員はもとの文書や証明書からのコピーを含むきわめて詳しい報告を利用できた。表が示すように(編集部注 数字は原文のまま)、超法規的殺害件数の合計は839件であるが、表の下欄の数字を詳細に見ると、その件数は2001年の98件から2006年の213件に増加した。表の左側には、殺人戦略の標的である「左翼」組織と関係するとされる代表的「階層」がまさに網羅されている。教会関係者、地域指導者、農民、ジャーナリスト、弁護士、いわゆる政党名簿(議会野党)に名前がのった人、人権活動家、超法規的殺害の単なる目撃者などである。

【表】

区分

2001

2002

2003

2004

2005

2006

2007
1-3

合計

教会関係者

1

0

0

2

7

9

0

19

農民

25

63

61

43

94

101

13

400

漁民

10

3

0

0

0

2

0

15

人権活動家

3

5

1

2

4

3

0

18

子ども(18歳以下)

8

7

18

6

4

7

0

50

少数民族

36

18

19

11

36

7

0

125

都市貧民

9

6

5

2

7

6

1

36

労働者

2

5

3

10

10

25

0

55

青年・学生

1

3

6

2

2

10

1

22

女性

0

1

1

0

0

2

0

4

公務員

0

1

2

0

5

7

1

16

教師

0

1

0

0

0

0

1

2

不明

3

2

19

2

21

35

0

77

合計

98

115

125

80

190

213

17

839


 大部分の殺害は、オプラン・バンタイ・ラヤ(9・11以後の反テロキャンペーンの枠組みのなかで採用された2002年にさかのぼる対ゲリラ活動計画)のなかで、「重点地域」とされた地域でおきているように思われる(前述第5節を参照せよ)。

 襲撃のまえに、被害者は通常、軍隊や反共的な自警団の中傷を受ける。彼らはフィリピン共産党/新人民軍(CPP / NPA: Communist Party of the Philippines / New Peoples Army)、あるいはその「前線組織」のメンバーだと噂され、「テロリスト」のレッテルが貼られる。実際には、被害者は借地期間の延長を求めている最貧層の農民、政府の非人間的な政治を批判する聖職者、普通の人の条件改善のため平和的に闘う人権を求める労働者であり、彼らは政治的暴力とはまったく無関係である。

 たとえば、第4節で言及した2006年11月6日のアシエンダ・ルイシタの虐殺を参照せよ。
 2006年10月3日に殺害された、貧しい農民と労働者の司祭としてもアロヨ体制の批判者としても知られたアルベルト・ラメント司教、2006年5月21日に殺害されたアンディ・パウィカン牧師(前述)、2006年8月3日に殺害されたイサイアス・サンタ・ロサ牧師(これも前述)は、非暴力の聖職者が標的になった例である。

 そのほか、非暴力の社会運動が標的にされた例として、2003年4月21日に起きた人権労働者エディ・グマノイとイーデン・マルセラナの誘拐と殺害および、前述したように、2001年以来、政党組織バヤン・ムナが立法府に正式に提出したリストに載せた129人の党員が殺害されている。2001年以降、活動家の弁護士15人と裁判官10人、政府や多国籍企業のような社会組織に暴力的でない攻撃を加えて批判したとされる、ジャーナリストその他のメディア関連の人びと26人が殺されている。

 オプラン・バンタイ・ラヤを論じたとき、それが目指しているより大きな広がりのシナリオの概要を述べたが、実際、この全体的状況はその議論と完全に一致する(第5節を参照せよ)。この状況は、審判員が告発1を判断するときに利用できる。フィリピン共産党(CPP)と新人民軍(NPA)の打破という初期の戦略に失敗した政府は、いまでは弾圧の対象を左翼反対派の軍事部分というよりも、政治的部分に集中している。法律機関と法律組織の「中立化」という目標は平和的人物を殺害する口実になる。法廷でオプラン・バンタイ・ラヤについて証言したダニロ・ヴィスマノス退役大尉は明確に、このもくろみは新人民軍のフィリピン軍との武装衝突ではなく、無防備な非戦闘員、貧しい農民、社会活動家の襲撃・拷問・殺害にあると分析している。

 女性指導者、とりわけガブリエラ女性党の指導者にたいして、軍人は彼女たちを裸にして暴行している。
女性の拷問の一形態としても、女性に恐怖を与えるためにも、性的暴力が利用されている。


 uploaded: June 23,2010   →top page